新着・今後の活動・心ゆたかに

心ゆたかに No.91

発行日 平成23年1月1日

『新年のご挨拶』 天峰建設代表取締役 澤元教哲

  清水寺貫主森清範様と(平成22年12月)

旧年中は公私にわたり多くの方々に大変お世話になりました。本年も何卒宜しくお願い申し上げます。

昨年は私の父が亡くなり、大勢の方から弔問を受けました。紙面を借りてお礼を述べさせていただきます。誠にありがとうございました。また、父以外にも個人的にお付き合いのあった方や、お世話になったご寺院でも幾人か亡くなられ、自分ではまだまだこれからと思ってはいたのですが、多少なりとも死というものを意識せずにはいられない年でした(新年の紙面なのに恐縮です)。

私の身に何かあった場合、業務を停滞させてお施主様にご迷惑をお掛けるわけには参りませんので、体制強化と修行のため、昨年より長男の薫に可能な限りお施主様との打ち合わせや現場監督助手を任せてみました。その後経過を見ながら現場によっては助手ではなく監督としても任せました。また、常務の平松には今まで通り新規の仕事のプレゼンや見積り作り、社内全般の取りまとめばかりではなく、新しいお施主様との打ち合わせも任せました。さらに監督の高橋には現場監督の傍ら設計まで任せたりと、社内の限られた人材をフル稼働させて、様々な業務に対応いたしました。本来社長自ら対応すべき業務ももちろんあるわけですが、このように大事な業務をフォローしながらできる体制作りは、何よりも急を要することだと思っています。人材を増やせば業務はもっとスムーズに余裕をもって出来、お施主様によりきめの細かいサービスを提供していくことが出来るのは簡単に想像がつきますが、頭数が多くても、いざという時に対応が出来ないのでは、本当の意味でお施主様のためになりません。まだまだ試行錯誤しながらの段階で、多少至らないところもございましたが、少しずつではあっても確実に体制が整いつつあるのを感じています。真っ先にその恩恵に与っているのは私自身でありまして、お陰様で昨年は例年以上に個人的に時間が作れ、多くの人と出会い、交流を深めることができましたし、いろいろなボランティア活動にも取り組むことが出来た充実した一年でした。

最後に、弊社のホームページもリニューアルしたのでご覧下さいませ。

 

『お寺・僧侶は「地域の中」でその役割が期待されている』

 日本テンプルヴァン㈱ 井上文夫

「寺こそ非営利組織(今様に言えばNPO)の源流」

十二月上旬、浜松近辺に多くの寺院を擁するご宗派の研修会に参加させていただいた。テーマは「今の時代に伝統仏教が期待されていること」、サブタイトルとして「瀬戸際の仏教とならないためには」ということでお話をさせていただいた。

私は冒頭に「瀬戸際に立たされているのは仏教ではなく、お寺なのですよ」と話した。このこともあり、お話が終わってからは、出席者の方々から、少子化や高齢化が一段と進み、宗教離れも起こっている非常に厳しい環境条件の中で、これからのお寺は一体どのようにしていったらよいのか、という切実な感想が寄せられた。

そこで私は一部の地域やお寺で既に始められており、しかも評価も高まってきている「てらこや活動」をご紹介した。「寺小屋」は江戸時代中期に普及してきたもので、上方方面で主に使われていた用語であり、江戸では「手習指南所」という呼ばれ方をしていたそうである。実はこの「寺小屋」は現代社会で新たに生み出されてきた「非営利組織」、つまりNPOそのものなのであり、江戸時代から非営利組織としての「寺子屋」はお寺が主宰し、地域に根ざした活動として行なっていたのである。

ところで経営学の父として著名なドラッガー博士は著書「非営利組織の経営」の中で、「今でも機能している最古の非営利機関は日本にある。それは「お寺」である、と述べている。お寺がその昔、地域のコミュニティーに欠かせない存在であり、その中心的な役割を担っていたことは誰でも知っている。現在ではお寺や僧侶の手から離れ、他の機関に役割が移っていってしまっている。その役割の多くは、それらの業務を専門的に行うNPOなどの各種機関が、昔のお寺に代わって担い、サービスを提供する、という世の中に変化してしまっているのである。

「お寺で『現代版寺子屋』を始めよう」 

「てらこや」と「寺小屋」との用語の使い分け方があるが、これには意味がある。いまやこの活動は実に幅広い地域で行われ、参加者が集まる会場も、そしてそれを運営する主体も必ずしもお寺だけではない。例えば国連のユニセフが主体となっている開発途上国向けのプログラム「世界寺子屋運動」(世界中のすべての人が、読み書きや計算を学べるように、教育の機会を提供する運動)では、当該国の条件に合わせた会場が使用されている。また「てらこや」が発祥の地である我が国では、お寺に限らず、活動の趣旨に賛同する宗教団体、例えば教会や神社などお寺以外の場所でも行なわれている。そのために「寺小屋」といわず「てらこや」と称しているのである。

「てらこや活動」の中で最も顕著な成功例としては、「鎌倉てらこや」が挙げられる。

ここで行われている活動内容をご紹介し、具体的にどのようなことが行なわれているかをご紹介する。

「鎌倉てらこや」はメイン会場を建長寺とし、協力を早大が行ない、宗派を問わず寺や神社、教会などが運営の協力をしている。活動としては毎週土曜日に子供達が会場に集まり、二時間学び、三時間遊ぶ。学びの中でマナーや道徳、法話を聞かせる。遊びでは建長寺の竹やぶで採った竹で竹細工を作ったり、水風船投げでずぶぬれになったり、本堂の中でかくれんぼをしたり、本気になって遊ばせる。最大のイベントは、建長寺での夏合宿である。坐禅を組み、精進料理を残さずいただく。食事の前には「いただくこと」の意味をよく言って聞かせる。参加人数は合宿で七十人ほどの大所帯である。

ここまで聞くと、ほとんどのご住職は、そんな大変なお世話は自坊では無理、と仰る。確かにその通りであるが、それをご自坊の関係者(主には家族)だけで抱え込もうとされるから、始めから諦めてしまう。そうではなく、建長寺の場合もそうであるが、外部の協力者(学生、JC会員、地元の青年会など)を上手に巻き込み、一緒になって進めて行けば、それほど案ずるほどのことはないという。

 

『曹洞宗定光寺様で晋山式』 静岡県磐田市前野

去る十一月二十八日(日)、磐田市前野の八王山定光寺様(福智秀道東堂・松本龍哉新命)において、退董式と晋山結制式が執り行われました。

稚児行列から始まった式典は、穏やかな雰囲気の中滞りなく執り行われました。戦後の苦しい時代から様々な苦労をされながらも、周囲の理解と協力を得て本堂を始めとした伽藍や境内の整備を一代で成し遂げられた東堂は、後進に道を譲ることでほっとしたような、感慨深げな表情をされていました。新命住職は決意の表情で堂々とされていました。檀信徒の方達は、東堂の労に感謝するとともに、新命住職と一緒に新たな時代を築いていくことを誓いました。

天峰建設も焼き鳥と焼きそばを模擬店で振る舞い、賑やかしに花を添えました。今後ますますのご発展をお祈りいたします。

    定光寺様の本堂内での式典の様子

 

・・・生姜(ショウガ)の話・・・

この原稿を書いている今、寒さに悩まされています。足の指が霜焼けになりそうです。何か体が温まるものでも考えようと思っていたら、今回は生姜(ショウガ)が思い浮かびました。

生姜は熱帯アジア原産のショウガ科の多年草で、古くから食用や薬用とされてきました。ちなみに、よく食べられているゴツゴツした部分は、生姜の根の部分だと思われがちですが、実は地下茎なのです。

日本では弥生時代後期にもたらされたとみられ、古事記には「はじかみ」の名で出ています。生姜は魚を煮る時に臭みを消すための香辛料として利用されたり、すりおろしたものが刺身や冷ややっこの薬味として添えられたりと、脇役的に重宝されることもあれば、甘酢漬けや紅ショウガのように主役として扱われることもあります。関西の方では紅ショウガを薄切りにして天ぷらの具にすることもあるそうです。私の父はモロキュウのように生の生姜に味噌をつけてそのままかじって酒の肴にしてしまいます。金山寺味噌ではなく普通の味噌なので、生姜の辛みと味噌の塩辛さで、強烈な味です。風邪をひいたときなどは生姜湯が民間療法として飲まれています。

生姜は中国では紀元前5世紀頃には塩や胡椒とともに保存食用に使われたり、薬用として利用されていたようです。 現在でも生薬として用いられており、単に乾燥させたものは生姜(しょうきょう)、蒸してから乾燥させたものは乾姜(かんきょう)と呼ばれます。ところが生姜にはビタミンやミネラルはそれほど含まれていません。生姜のパワーの秘密は生姜独特の辛みと香りの成分であるジンゲロール、ショウガオール、ジンゲロンにあるのです。これらの成分にはいずれも殺菌作用があります。ジンゲロールは体を温めたり、免疫力を高める働きがあります。生姜を加熱するとこのジンゲロールがより辛みの強いショウガオールやジンゲロンに変化します。ショウガオールは血行を促進し、ジンゲロンは脂肪の燃焼を促します。加熱時間が長いほどジンゲロールは変化して少なくなるので、免疫力アップなら生で、ダイエットならしっかり加熱してと、用途によって加減するとより効果的です。生姜湯も利に適っていたんですね。

 

『編集後記』

昨年は大変お世話になりました。本年も何卒宜しくお願い致します。

さて、今回もこうして皆様に記事をお届けできることは何よりの幸せと思います。より良い紙面作りのため、ご意見やご感想をお気軽にお寄せいただければ幸いです。

天峰建設 井口 

心ゆたかに No.90

発行日 平成22年11月1日

『曹洞宗安楽寺様で落慶式』 静岡県磐田市前野

        落慶式の会場の様子

去る十月三十一日(日)、磐田市立野の医王山安楽寺(市川普弘住職)で、本堂と位牌堂の落慶式が執り行われました。

数日前から台風十四号の接近で天候が危ぶまれていましたが、式典当日は朝方小雨がぱらつく程度で済みました。

式典は厳かな雰囲気の中滞りなく執り行われ、本堂と位牌堂の完成を祝うとともに、関係者のこれまでの労をねぎらいました。

式典終了後には、天峰建設からサービスで樽酒がふるまわれ、恒例の模擬店の焼き鳥と焼きそばとともに参列者からご好評をいただきました。

        本堂内の落慶式の様子

 

『曹洞宗興徳寺様で完成見学会』 来年四月頃・静岡県磐田市森下

      現在鋭意作業中の興徳寺様の現場

今年三月の末に構造見学会を実施させていただいた磐田市森下の長松山興徳寺様(八神英典住職)で、来年四月頃、完成見学会を開催する予定です。

現在、本堂は太田佳宏棟梁、位牌堂は加藤芳弘棟梁を中心に鋭意作業中で来年三月末の完成を目指しています。

見学会に参加ご希望の方は弊社にご連絡下さい。また、見学会以前に見学されたい場合も随時受け付けております。

 

『全仏主催「葬儀は誰の為に行うのか?」』

 日本テンプルヴァン㈱ 井上文夫

「五十年間でお寺が十分の一になるとのご託宣が」

九月十三日に全日本仏教会主催による「葬儀は誰の為に行うのか」~お布施をめぐる問題を考える~、という公開シンポジュームが東京秋葉原で開催されました。出席希望者は事前予約を受付けたのですが、三百五十人を超す希望者があり、一部お断りをしたぐらい大盛況でした。

この日は、講演順に大和総研・石田主任研究員、慶応大学・中島教授、葬儀評論家・碑文谷創、玄侑宗久住職(芥川賞作家)の四人の講演でした。内容としては、石田氏は「最近の葬儀事情」についてデータを元に解説され、葬儀の小型化、個性化とともに、脱宗教色化の傾向が見られ、アンケート調査によると戒名は不要と考えている人が何と七十二%にも及ぶとの報告がありました。慶応の中島教授は「お寺の経済学」の出版を通じた、全国の多数のお寺での面談調査の経験を踏まえ、お寺や住職に厳しい発言が多くありました。向こう五十年間でお寺が十分の一になってしまうという驚きの発言もありましたが、いくら学者といえども見識もあり、お寺の現況を踏まえての話でもありましたので、それなりの説得力がありました。(詳細は後述)

碑文谷氏は、葬儀業界に精通している立場で、そこから見たお寺について、「住職に危機意識があっても、お寺をどうしようとしているのか見えてこない、また社会におけるお寺の存在意味を確認しないと、そのうちお寺は放置され姿を消してしまいかねない」という見方を話されました。最後の講演者は、唯一住職でもあったため他の講師とは違った角度から話された玄侑師で「葬儀は、一人一人の死者に個別にどれだけ寄り添えるか、スーパーのイオンみたいな全国統一したマニュアル形式の葬儀は認められない」との意見でした。

 「週刊誌に『お寺はもういらない』との大見出しの内容」

全仏のシンポジュームには、新聞、テレビ、週刊誌など数多くのマスコミが取材にきていました。ご存知の通り、高齢化・多死社会を迎えた現在、マスコミのほとんどが今回のようなテーマに非常に敏感になっているのです。

その中で朝日新聞が発行している「週刊アエラ」誌が、この大見出しで特集記事を掲載しました。主に取り上げられていたのは、次のような中島教授の発言内容です。

記事では概要だけの掲載でしたが、筆者がメモした当日の発言を紹介します。

「一つの業務(事業)が長期的に栄えるかどうかは、消費者教育が非常に重要であり、賢い消費者の育て方如何により大きな差がでる、消費者が育ってこなければその業界は育ってこないというのは、どの業界を見ても自明の話である。お寺では賢い消費者として檀信徒を育ててきたのか、ただ単に葬儀や法事を受けてきただけであり、この部分がきちんとされてこなかった為に、それが積もり積もってきて檀家にきちんとした信仰心がついてこなかった」という説明をされました。いくらマーケティングが専門の学者だからとは言え、営利企業が商品を消費者に普及させる仕組みと、全く対極にあるお寺と檀家という関係とを、同一次元において比較された発想には、私は正直にいって違和感を持ちました。また経済学の理論をそのままお寺に当てはめての説明には賛成できません。

 しかし別の考え方をすれば、仏教界の外の学者から見ても、今のお寺は危険水域に達してきていることを表わした見方を示しています。また今後とも何らやり方を変えず、檀家のニーズをも顧みないでこのままの経営を続けたら、五十年先には、現在七万六千のお寺が六千に激減してしまう、と。この意見は、未だ世の中はお寺に期待したいが、仏教界の内部から改善意欲が起きてこなければ、自滅するだけだ、と警鐘を鳴らされたと受け止めたいと思います。主催者であり当日の司会者でもある全仏関係者からは、この意見に対し、否定や反論はなく、どちらかと言えば理解を示す態度であったことを報告しておきます。

 

『真宗高田派光福寺様で上棟式』 静岡県浜松市中区南浅田

去る十月二十八日(木)、浜松市中区南浅田一丁目の浅田山光福寺様(今橋宣麿住職)において、鐘楼堂の上棟式が執り行われました。

式典当日は朝から雲行きが怪しく、上棟の工事中に雨が降り始めました。数日前から急に冷え込んでいたので、雨によってさらに寒さが増すという、大工泣かせの天候となりました。それでも、山田俊棟梁を始め皆カッパを着て一生懸命に工事をやり遂げ、式典までに予定通り間に合いました。工事が終わってみると、カッパを着てはいましたが、結局雨や汗でカッパの中まで濡れていました。そして、テントの中ではありましたが無事に上棟式を執り行い、関係者が一人一人焼香して今後の工事の無事を祈願することができました。

完成は十一月末の予定です。

    光福寺様の上棟式の様子(平成22年10月撮影)

 

・・・鮟鱇(アンコウ)の話・・・

やれ猛暑だ残暑だ、地球温暖化の影響がどうの、秋らしくないなどと騒がれていたのが懐かしいくらい、十月の終わりくらいから急に寒くなり、すっかり鍋料理の美味しい季節となりました。

今回は庶民にとっては「海のフォアグラ」と珍重される「あん肝」や、鍋の具材としても大活躍の鮟鱇(アンコウ)の話です。

アンコウはアンコウ目アンコウ科に属する魚の総称で、ただ単にアンコウと言う場合は食用のキアンコウ(ホンアンコウ)やアンコウ(クツアンコウ)のことを指します。深海魚として有名なチョウチンアンコウは食用のものとは異なります。

アンコウは頭でっかちで口が大きく泳ぎが下手なために、海底に潜み頭の突起を疑似餌の様に動かして小魚などの獲物を誘って捕らえますが、時にはアンコウの胃袋から捕食された海鳥が出てくることもあります。

アンコウは体が大きくて柔らかく、表面がぬめるために俎板の上では捌き辛いので、昔から下顎にフックを引っ掛けて吊るし、水を入れて体を膨らませて捌くという独特の方法「吊るし切り」で解体されてきました。解体された各部位は肝(肝臓)、とも(ヒレ)、ぬの(卵巣)、台身(身の部分)、水袋(胃)、えら、皮の「七つ道具」と呼ばれ、顔や骨以外は捨てるところが無いと言われています。

「東のアンコウ、西のフグ」と言われる様に、下関のフグと茨城のアンコウは並び称されていますが、今が旬のアンコウは美味しいだけではなく、栄養的にもとても素晴らしい魚です。身は淡白で上品な味で、高タンパクで低脂肪です。皮やヒレにはコラーゲンがたっぷり含まれていて美容に良いです。肝は高脂肪ですが、DHAやEPAが豊富なので、血液中のコレステロール値を下げ、血栓が出来るのを防いでくれますし、ビタミンA、D、Eも豊富なので免疫力アップも期待できます(プリン体も豊富なため尿酸値の高い人はたくさん食べてはいけません)。これらの栄養を丸ごと摂れて、野菜のビタミンCも補えるので、アンコウ鍋がお勧めです。

今ではスーパーでアンコウ鍋用のパックやあん肝の缶詰なども買えますので、ご家庭でもご賞味してみてはいかがでしょうか。

 

『編集後記』

寒さが本格的になってきました。手洗いやうがいなどを励行して風邪をひかないようにお気を付けください。

さて、前号の三面中段の曹洞宗吉祥寺様の記事で、山号が「長光万福山」となってしまっていました。正しくは「万福山」です。お詫び申し上げます。

天峰建設 井口 

心ゆたかに No.89

発行日 平成22年9月1日
『親子ふれあい工作教室と』 静岡県磐田市西貝塚

 去る八月二十一日(土)、磐田市西貝塚の中遠建築高等職業訓練校(磐田市職業訓練所)で、親子ふれあい工作教室(磐田市・中遠建築高等職業訓練校・中遠連合建築工業組合共催)が開催されました。
この教室は、次代を担う子供たちに伝統の技術を伝え、親子の触れ合いを通じて夏休みの良い思い出を作ってもらうことを目的に開かれました。磐田市を中心とした中遠地域の親子連れが三十人以上参加し、建築技能士や訓練指導員の二十六人のスタッフの指導を

受けながら、地元産のヒノキやスギを用いて、プランターやイス、棚などを二品ずつ製作しました。
参加者は慣れない手つきながら楽しそうに取り組んでいました。出来上がった作品と達成感は良い思い出になったことでしょう。


『イオンの葬儀・僧侶紹介事業開始の波紋』
 日本テンプルヴァン㈱ 井上文夫
「「全仏ではこの問題で公開シンポジウムを開催」
 この問題は珍しいほど社会の多くの感心を集めたようです。私自身もサンケイ新聞や朝日新聞、週刊誌などの取材を相次いで受けました。いろいろ話題になった感がありましたが、大きく分けて二つの対立軸が浮かび上がってきました。一つは、いままで葬儀の導師として秩序を保ち、厳粛な葬儀の司祭者としての役割を果たしていた仏教界とそれに従事している側に立つ葬儀社、一方の側は葬儀における各種の専門業務によるサービスを受ける側の消費者、という対立軸です。この構図は情報を伝えたマスコミがこの両者を提供側とその受け手側という二者の構造を前提としたからかも知れませんが、一般の人々がそのように感じていたことが大きいのでしょう。
 ここで予想外だったことがあります。それは、イオンが発表した葬儀の戒名やお布施の明確化に賛同する意見が八十%を超えるほどあったことです。また、まるで責任の無い僧侶や寺院の存在に対して、乱暴な言葉を使い非難をする意見が多くを占めていたことです。その一部を紹介しますと「坊主丸儲けで、お布施は志で結構と言いながら、少ないとこれでは足りないと言われた、という発言に始まり、お布施は金額を決め、オープンにした方がいいとか、お寺は税金も払わないで、文句も言うな、とまで言う始末です。
 これらの実情を知った全日本仏教会では、イオン対策ということではなく、一般からこれだけ誤解されたり、仏教やお布施についての正しい知識をもたないままただ単に非難している人々に、仏教界側から情報を発信し、一般の方々に少しでも理解されるべく勤めようとの観点から、次の「公開シンポジウム」が企画されました。
「公開シンポジウム【葬儀は誰の為に行うのか?】」
全日本仏教会主催の公開シンポジウム「葬儀は誰の為に行うのか?」は、今秋の九月十三日午後六時から東京の秋葉原で開催されます。ここで筆者が下手な説明をするより、全仏の案内書にある「シンポジウム開催主旨」をそのまま引用させていただきますので、ご参照ください。(以下引用)
近年、特に大都市を中心として「菩提寺を持たない」「菩提寺を知らない」という方々がいらっしゃいます。また「実家の菩提寺は知っているが、今の住まいから離れているので、付き合いがない」など、人口の流動による寺檀関係の希薄化が進み、菩提寺と関係を持たない方々が、突然葬儀という場面に対応しなければならないケースが増えております。いわゆる家制度が保たれた時代では、数世代が同居し、家長の仕切を見ながら、多くのしきたりを次世代が継承し、寺檀関係においても「阿吽の呼吸」で過ごすことができました。
 では、そのようなことを知らない方々はどう対応すればいいのでしょうか?いったい寺檀関係とは何でしょうか?葬儀のときに僧侶に渡す「お布施」とは、どのような意味が込められるものなのでしょうか? 我々僧侶は、菩提寺と関係を持たない方々が、お布施という明確な基準を持たないものに対する不満と、寺院との付き合い方がわからない不安に対して、目を向け、耳を傾けてこなかったのかもしれません。このシンポジウムは、お布施を通して、僧侶が一般社会からどのように見られているのか。一般の方々と僧侶の間で起きているであろう、葬儀(お布施)に対する考え方の違いを浮き彫りにして、僧侶と一般の方々との問題の共有を図り、菩提寺と関係を持たない人々に対して葬儀の重要性を共に考えていきたいと思います。
さらにはそのような方々と新たに寺檀関係を結ぶことができる葬儀、つまり一般の方々が意義を見いだせる葬儀とはどのようなものかを僧侶自らが「律する」という視点に立ち理解し、一般の方々と僧侶との信頼関係構築の一助となれば幸いです。
(引用ここまで)ご出席ご希望の方は、全仏に直接申し込まれるか、または筆者までぜひご連絡ください。
『曹洞宗吉祥寺様で解体法要』 静岡県浜松市東区貴平町
(メールアドレス:inoue@jtvan.co.jp)

去る八月八日(日)、浜松市東区貴平町の長光万福山吉祥寺様(桐畑守道龍泉寺住職兼務)において、老朽化した本堂と位牌堂、庫裡の解体法要が執り行われました。
吉祥寺様は、江戸時代には朱印地として広大な寺領を有し、檀家は十三軒でしたが年貢収入で賄われていました。ところが戦後の農地改革でほとんどの寺領が失われてしまい、先代の住職(故人)が二束のワラジを履きながら何とか支えておられました。そのような状態の中、本堂の老朽化が著しくなり、本格的な解体修理か新築が悲願となっていました。それでも、檀家十三軒では一軒当たりの負担が莫大なものとなってしまうため、先住の御存命中には実現しませんでした。
先住の御遺志を継いで桐畑住職と総代、檀信徒の方々の御尽力と御縁で、規模こそ現状の本堂より縮小されますが、念願の新築に決まりました。



・・・スズメバチの・・・

先日とある御寺院様から「天井裏で足音がするから白鼻心(ハクビシン)がいるみたい」という相談を受けて、弊社の常務が調査のために伺って天井裏に入ってみたら、何やら音がする。「ジジジジジ・・・」
「これは白鼻心の足音ではない。何だろう?」と、辺りを見回すとスズメバチの巣があり、その周りにたくさんのスズメバチがいました。「ジジジジジ…」は、巣に近づく者に対するスズメバチの警告音だったのです。間一髪刺されずに済み、調査を続けた結果、白鼻心見つからず、足音の主はネズミであることがわかりました。今回はスズメバチの話です。
スズメバチはハチの仲間でも大型で攻撃性の高いものが多く、日本には最も大きなオオスズメバチ(世界最大!)から最も小さなキイロスズメバチまで、十六種もいます。
スズメバチは幼虫の餌として他の昆虫を襲いますが、秋になって昆虫の数が減ると、ミツバチやアシナガバチなど他の種類のハチの巣まで襲うようになり、他のハチの巣を襲撃に行くスズメバチに遭遇する危険も高まります。スズメバチに襲われる危険から他のハチまでもが警戒のために攻撃的になります。また秋は行楽シーズンでもあり、野山に入って知らずに巣に近付いてしまい、ハチたちに襲われることも増えます。日本ではスズメバチに襲われて命を落とす例は、熊に襲われたり毒蛇にかまれてよりも多いのです。スズメバチは黒いもの(黒髪や眼の部分、黒い服装)を攻撃すると言われますが、コントラストのはっきりしたものを襲う習性があるので、夜は白っぽい服装が襲われやすくなります。防護服などを着ていて直接刺されることがなくても、毒液を直接吹きかけることがあり、目に入れば失明したり、皮膚に付けば炎症を起こします。散布される毒は警報フェロモンの働きがあり、仲間を興奮させ呼び寄せるので、騒がずに速やかに立ち去ることが大事です。
よくハチに刺されたら尿をかけるという応急処置を耳にしますが、これは効果がありません。毒を不活性化させるタンニンを含むもの(番茶など)で傷口を洗い流したり、傷口をつまんだり吸引器を使って毒を吸い出す、流水で傷口を洗うことはある程度効果があります。スズメバチはミツバチと違って一度刺しても毒針が抜けて死ぬことがなく、毒液が残っていれば何度も刺そうとします。一度刺されて抗体ができてから(数分から三〇分以内)また刺されるとショック死(アナフィラキシーショック)する危険があるので、速やかに避難し、病院に行きましょう。
もし、スズメバチの巣を見つけたら、行政や業者に連絡しましょう。

心ゆたかに No.88

発行日 平成22年7月1日
『喜びの落慶式続々と』 静岡県各地で

 去る5月29日(土)、伊豆の国市北江間の、臨済宗建長寺派の北江山宝積寺様(石井訓広住職)で、本堂と位牌堂、書院の落慶式が執り行われました。
式典当日は鎌倉より管長猊下をお招きして、厳かに落慶を喜ぶとともに、関係者の労をねぎらいました。

 去る5月30日(日)、浜松市南区老間町の、臨済宗方広寺派の万松山祥光寺様(向令孝住職)で、本堂と位牌堂の落慶式が執り行われました。
式典当日は天候に恵まれ、大勢の檀信徒の方々が集まりました。天峰建設や出雲殿による模擬店もお賑やかしに華を添えました。


去る6月5日(土)、磐田市中泉の、臨済宗妙心寺派の無量山泉蔵寺様(安藤義典住職)で、山門、十王堂、庫裡など諸堂の落慶式が執り行われました。
一連の大がかりな伽藍整備が一段落し、新たな出発を祝いました。


『イオンの葬儀・僧侶紹介事業開始の波紋』
 日本テンプルヴァン㈱ 井上文夫
「仏教界を無視・軽視したイオンの対応」
 5月10日に全国のマスコミに向け、イオンが「ニュースレリース」を発表しました。一年前から受注を開始しているイオンの葬儀に対する付加サービスとして、希望者に「僧侶の派遣・紹介事業を」を開始するという内容がその骨子でした。
同日この情報をキャッチした私は驚きました。少し仏教界の事情を知るものにはすぐ分る「ウソ」が書かれていたのです。それはイオンが「八宗派の総本山の許可を得て」とこの事業の開始に当たり、恰も伝統仏経界のお墨付きを貰ったかの如き説明文があったことです。こんな許可をどの宗派の本山も出すはずがない、「これはとんでもない誇大広告だ」と私は思いました。
 そこで私は即座に全日本仏教会に情報を伝えました。全仏にしては珍しく「数日間の内に」加盟全宗派に対し、このような許可を与えたのは事実か、あるいは何らかの相談があったのか」などの質問表を送付するという素早い対応をしました。その後着々と回答が戻っており、それによると、どの宗派もイオンから相談も受けていなければ、無論「自宗派の僧侶をイオンから派遣をすることを許可もしていない」というものです。
イオンは僧侶派遣・紹介事業を企画し、サービスを開始したのですが、肝心な仏教界には前述の通り何らの挨拶も相談もないまま始め、しかもその発表した内容に偽りがあったのです。これは如何に同社が仏教界を軽視しているかを如実に表していることになります。実は問題なのは、このことより、戒名や戒名毎の葬儀のお布施金額について、全国統一したものを発表していることにあるのです。

「定価を付けたお布施は、将来課税へと進む恐れが」
さてイオンは、葬儀へ僧侶の派遣・紹介事業を発表すると同時に、前述のように派遣する僧侶への「戒名・お布施」の金額も併せて公表しました。一応「これは目安です」との断り書きはあるものの、これだけ全国規模の知名度の高い大企業が、ほとんど定価のように公表した金額は、利用者が増えるに従って、「定価」になっていくのは自然の成り行きです。
営利企業がどんなサービス事業を始めようが、それは全く自由です。しかしその内容が、営利企業の事業としては馴染まない「宗教活動」そのものである場合、勝手気ままにできるということでは当然ありません。少なくとも「宗教活動は宗教法人あるいは宗教者が行なうもの」であるべきであり、さらにその人たちの専権事項であるとも言える、葬儀の戒名やお布施の金額を営利企業が勝手に決め付け、その金額を自分達が差配している事業であるかの如く、明示することは宗教界としては到底見逃すわけにはいきません。
また同社は、従来からあったお布施に対する消費者の不満としてあがっていた「金額が不明瞭」との問題をこの事業で解消しようとしているのです。このお布施の定価を付けたサービスが普及していけば、一般消費者の不信感を払拭させることができ、しかも同社は葬儀の受注がし易くなる、というのが同社の目論見なのですが、これは仏教界に対し、越権行為であり、余計なお世話である、と言えます。
しかも怖いのは、数年前にあったペット葬儀のお布施に課税されたときの根拠が、今回とほぼ同一の類型であると思われることです。つまり「定価を付けたこと」「対価性があるということ」さらには「営利企業が行なっていること」の三つの事柄が、極めて類似性が強いことです。ということは、このイオンの葬儀における僧侶紹介や派遣事業が、全国に展開され、普及して行った場合には、課税庁の論理では、正に課税の条件が全て具備している、と断定されることになっていくのではないでしょうか。
このイオン問題は、現在仏教界側との論争が進行中のことでもあり、次回本稿でその後の経過をご報告させていただくつもりです。
『日蓮宗妙恩寺様で祈願祭』 静岡県浜松市東区天竜川町
 去る5月16日(日)、浜松市東区天竜川町の長光山妙恩寺様(山澤英伸住職)において、老朽化した常経殿の屋根換えと耐震工事の祈願祭が執り行われました。
妙恩寺様は、700年程の歴史があり、徳川家康が三方原の合戦で武田軍に敗れた折に、妙恩寺様に逃げ込み本堂の天井裏に匿われたという逸話があります。
式典当日は天候に恵まれ、初夏の陽気の中を関係者の方々が参列され、住職の読経が響く厳かな雰囲気の中、つつがなく執り行われ、今後の工事の無事を祈願しました。
現在施工中のベテランの宮大工である岩渕忠弘棟梁は、「梅雨の天気に悩まされているが、作業ができる時は全力で取り組んでいる。丁寧な仕事をしつつ、工期も間に合わせたい。」と、意気込みを語りました。



・・・韮(にら)の話・・・

最近何故か社内でちょっとした餃子(ぎょうざ)ブーム。身体を使う大工さんたちが、疲労回復にスタミナ食を自然と求めるのかもしれません。「あそこの餃子が美味いから」と、外回りのついでに買い出しを頼まれることもあります。今回は餃子にも使われる「韮(にら)」のお話です。
韮はネギ科(古い分類法ではユリ科でした)の多年草で、中国西部が原産です。日本では古事記に「加美良(かみら)」、万葉集に「久々美良(くくみら)」と記述がみられ、古代は「みら」と呼ばれていたのが訛って「にら」になったようです。
ネギやニンニクなどの他のネギ科の植物と同様、癖のある香りがあるために嫌う人もいますが、香り成分はネギやニンニクにも含まれるアリシンで、抗菌作用があったり、ビタミンB1の吸収を良くするので疲労回復に役立ちます。他にもベータカロチンやビタミンB1・B2、C、Eが含まれていて、カルシウムやカリウム、鉄なども豊富に含まれています。昔から、野菜や薬味としてだけではなく、生薬としても利用されてきた優れモノです。
韮は葉物なので新鮮なうちに使い切るのが一番ですが、保存する場合は買ってきたものをそのまま冷蔵庫にしまうと食感が長持ちしないので、使いやすい長さに切って、タッパーに水を張った中に入れて蓋をしてから冷蔵庫で保存し、こまめに水を換えれば食感が失われずに一週間くらい持ちます。
畑の脇や土手に野生していることもあるくらい身近な韮ですが、韮と間違えて有毒植物のスイセンを食べて中毒になることも時々起るようですので、野生の韮を食べる時には注意が必要です。参考までに、スイセンには葉に韮のような独特の強い香りがなく、球根があります。
 韮を使ったチヂミ(韓国風お好み焼き)の作り方を紹介します。
1. チヂミの粉(市販物でも小麦粉で代用でも可)を水でダマが無くなるまで溶く。
2. 適当な長さに切った韮を初めとした好みの具材、卵を混ぜる。
3. 熱したフライパンにゴマ油を引きお好み焼きよりも薄く焼く(両面)。
4. 食べやすい大きさに切り、好みのタレに付けて食べる。

心ゆたかに No.87

発行日 平成22年5月1日
『完成見学会と構造見学会』 磐田市の安楽寺様と興徳寺様で

 去る3月30日(火)、静岡県磐田市立野の曹洞宗医王山安楽寺様(市川普弘住職)で完成見学会を、同市森下の曹洞宗長松山興徳寺様(八神英典住職)で構造見学会を開催いたしました。
見学会の計画が決まったのが、実施日の三週間ほど前でしたので、事前の広報と準備に充分な時間があったとは言えませんでした。それにもかかわらず、会場となったご寺院様のご厚意で快く引き受けて下さり、何とか実施へとこぎつけることができました。
当日は天候に恵まれて、数件の御寺院様や総代、世話人など関係者の方々が見学会に足を運んで下さいました。興徳寺様と安楽寺様の所在地が近いこともあって、ご来場された方々は、両方の会場にお寄り下さいました。それぞれの会場では、ご住職を始め天峰建設の社長や棟梁から、建設に関わる経緯や構造についての専門家ならではの説明がなされました。建設計画がおありのご寺院様にとりましては、ご参考になったのではないでしょうか。ご来場者には、大工の手作りの檜製の俎板を記念品としてお一人ずつお配りいたしました。
お客様と打合せをしている過程での見学会はこれまでに何度も実施しておりましたが、こちらから広報活動をしての見学会は初めての試みで、急な広報であったため、どれくらい来ていただけるか不安でしたが、まずまずの反響ではなかったかと思います。
次回は充分な準備期間を設けて、より充実した見学会が開催できる様にしたいと思います。より多くのご寺院様に来ていただける様に、早めのご案内を心掛けます。


『最近なぜ葬送関連のマスコミ記事が多いか』
 日本テンプルヴァン㈱ 井上文夫
「最大の反響があったNHKの無縁死社会番組」
 今年1月末にNHK特別番組「無縁社会」が放映されました。これは弊社にも取材があったため放映を事前に知っており、弊社の顧問先の富山の寺院住職も出演されるので、録画も録りました。地味なテーマですし、まさか大きな視聴率なんか望めないと思っていたのですが、結果は全く逆で、高い視聴率だったそうです。
 すぐ翌日から、今度は二次情報として、インターネットブログやツイッターなどへの、NHKの無縁社会の内容について、洪水のような書き込みが溢れたのです。それぐらい番組を見た人々の印象に残る衝撃的な内容だった、ということが言えるのではないかと思います。見た人も多いと思いますが、ご覧にならなかった人のために、概要をお知らせします。
「無縁社会」のNHKの放送は、昨今の都会の一人ぼっちで、社会生活で他人との関わりをほとんどを持たない孤独な人々の間で、「孤独死」が増加している問題の背景を取り上げたものです。昨年一年間に全国で、無縁死はなんと三万二千人も発生しており、これらを行政用語で「行旅死亡人」というのがそうです。これらのほとんどは葬式はおろか、お骨の埋葬もされず、いわば行き場を失った『仏さま』という位置付けになっているのです。これらが発生した社会的背景や、この問題に積極的に関わっているのが冨山の大法寺住職です。住職は、行政や葬儀関係者に対し、ほぼ手数料に等しい安価な料金で遺骨を引き取り、丁重に読経し、ご自坊の永代供養墓に埋葬する仕事を始めておられる様子を、実際に放送されたのがこの特集でした。
この番組はあまりの人気ぶりに、三月にも再放送されました。
「何社もの経済誌までが、葬送やお寺、お墓特集を」
 活字離れが言われて久しいですが、そのためか出版物の売行きは順調とは言えません。そこで出版各社、読者が関心を持ち、購買意欲をそそられる特集を組むことに全力を挙げています。そんな中で、昨今の週刊誌を初めとし、一般新聞紙までが特集扱いをし、記事を連発しているのが「葬儀、お寺、お墓」それに「無縁死」問題をテーマにしたものに集中しているのが昨今の現象です。
これらのテーマにあまり縁がないと思われていた経済誌の、ダイヤモンド社や同じく東洋経済社までもが、ここ数ヶ月の間に競うようにこのテーマの特集号を連発しています。弊社に時々来るダイヤモンド社の記者に、これらの特集の狙いを尋ねてみたら、なんと次の通りでした。
 これらのテーマにあまり縁がないと思われていた経済誌の、ダイヤモンド社や同じく東洋経済社までもが、ここ数ヶ月の間に競うようにこのテーマの特集号を連発しています。弊社に時々来るダイヤモンド社の記者に、これらの特集の狙いを尋ねてみたら、なんと次の通りでした。
出版する以上、販売を伸ばし会社の収益に貢献しなければならないが、これらのテーマで特集を組んだ場合、過去の経験から当り外れがない。二年前に同社が発行した「寺と墓の秘密」の特集号は、全国の売店で完全に売り切れ、各地から増刷の依頼が多数舞い込んだとのことでした。特にこの時は全国のお寺さんからの問い合わせが最も多く、八万近くあるお寺さんの半数近くの方々が購入されれば、軽く通常の販売部数は確保できる、という実感を得たそうです。以来、毎年のように同様の特集を組み、その都度販売を順調にこなしている、とのことでした。
さてあまり出版社の営業政策を取り上げても仕方がありません。なぜこのようなテーマが社会から受け入れられるのか。それは我国が成熟社会化する一方で、人口の減少、少子化の進展、身寄りのない老人の増加、格差社会が広がり、社会的弱者が増大、といういびつな社会構造になってきています。このような荒涼とした社会の中で、老後とか葬儀とか、あるいは避けることの出来ない「自分の死の問題」について、今一度考えようという人々が増えてきている、というのが社会背景としてあるのです。
このような時代を迎え、実はお寺はもっと社会に対し、本来的な役割を果たすことが期待されてきている、とも言えるのではないでしょうか。今こそお寺が出番であると私は思います。お寺の活躍により必ず社会は明るい方向に向かうはずです。
『定光寺様で落慶式』 静岡県磐田市前野
 去る4月25日(日)、磐田市前野の曹洞宗八王山定光寺(福智秀道住職)様で、本堂の落慶法要が執り行われました。
定光寺様では、平成18年秋に着工した鎌倉様式の本堂が、平成20年6月に竣工していまして、およそ二年越しの念願の落慶式でした。そんな皆の気持ちが天に通じたのか、雨の多い時期ではありましたが、当日はとても良い天気に恵まれました。
穏やかな雰囲気の中、式典は恙無く執り行われ、皆で完成を祝いました。天峰建設も模擬店で、焼きそばと焼き鳥を振る舞って賑やかしに華を添えました。



・・・食中毒の話・・・

最近天候不順で、桜や藤などが例年よりも早く開花したり、暖かくなったかと思ったら急に寒くなったり梅雨でもないのに雨が降り続いたりしています。体調も崩しやすく、体力が落ちている時に湿度が高いと心配されるのが、食中毒です。今回は食中毒の話です。
食中毒は有害、有毒な微生物、化学物質などの毒素を含む飲食物を口から摂取して起こる下痢や嘔吐、発熱などの症状(中毒)の総称で、その原因によって、細菌性食中毒、ウイルス性食中毒、化学性食中毒、自然毒食中毒、などに分けられます。
食中毒の患者数ではノロウイルスが原因のウイルス性食中毒が最も多いのですが、ここでは高温多湿が原因で発生しやすい細菌性食中毒について、もう少し詳しく述べていきます。
細菌性食中毒の原因となる細菌には黄色ブドウ球菌、ボツリヌス菌、腸炎ビブリオ、サルモネラ属菌、カンピロバクター、病原性大腸菌、リステリア属菌など、様々なものがあり、細菌によっては非常に重篤な症状を招いて死に至らしめたり、調理による加熱程度では防げないものもあります。
細菌性食中毒を予防する三大原則は「つけない」「ふやさない」「ころす」です。「つけない」は調理前と食事前に手洗いをしたり、魚や肉と野菜の菜箸や包丁、俎板等の調理器具を分けたりすることで、細菌が食材や料理に付かないようにすることです。「ふやさない」は食材や料理を冷蔵庫や冷凍庫で保存し、細菌の増殖を少しでも抑えることです。冷蔵庫に入れれば大丈夫ということではないので、気を付けましょう。「ころす」は加熱やアルコールによって殺菌することです。
 他の予防法としては、食材を購入する時、新鮮なものを選ぶことです。
昨年七月より着工した浜松市浜北区根堅の曹洞宗太白山龍泉寺(桐畑守道住職)様の総門と袖塀の全解体修理が、この度完了いたしました。
住職のご希望で、約四百年前の赤樫の二尺ほどある柱、貫材や扉など、使える材はそのまま利用し、風格を残した姿に仕上がりました。
総門の竣工によって、さらに境内の景観の趣が深みを増しました。

心ゆたかに No.86

発行日 平成22年3月1日
『貴重な体験・薬師寺東塔見学』 天峰建設代表取締役 澤元教哲

 去る2月26日(金)、奈良県奈良市西ノ京町の法相宗大本山薬師寺様(山田法胤管主)を訪れ、国宝の東塔を見学させていただきました。
薬師寺様では昨年10月から十年間に及ぶ東塔の解体修理に着手しておられ、今年の2月いっぱいまでは解体のための調査が行われていました。そのため、調査用の足場に囲まれており、せっかくの雄姿の全景を目にすることはできませんでしたが、その足場のお陰で、普段はまず目にすることのない角度から、間近で細部を見学することが出来ました。寺社建築の伝統の技を受け継ぎ、後世に伝えていく責務を持つ宮大工といたしましては、非常に貴重な体験となりました。
今回の見学の目的は、百年から数百年に一度くらいしかない国宝の伽藍の解体修理(本格的な全解体修理は今回が初)の、その時でしかお目に掛かれない構造の見学(先人の知恵と技術、経年変化の様子を見ること)にあったので、目的は十分に果たせました。
また、今回の見学は、お世話になっている御寺院様の御紹介があって参加させていただきましたが、つくづく御縁と言うのはありがたいものだと思いました。
解体の工事が始まりましたらまた、見学に行きたいと思います。


『他宗教への批判に対するお国柄の違い』
 日本テンプルヴァン㈱ 井上文夫
「シンガポールでは他宗教批判意見を禁止」
 昨年シンガポールでキリスト教牧師が、仏教に対し無神経な発言をし、さらにホームページにもそのことを掲載しておりました。この発言が今年の二月に問題視され、この発言をした牧師は国内治安当局(ISD)から呼び出しを受けました。
 当局から「発言は不適切」との指摘を受けた同牧師は、ホームページに「仏教、道教に対する無神経な発言を謝罪する。他の宗教をばかにするようなことは二度としない」との謝罪文をホームページに掲載した、というニュースがありました。
シンガポールはもちろん自由主義の国であり、信教の自由も認められている国であるにも関わらず、何故「他宗教批判」が問題視されるか。それはシンガポールという国の歴史や現在の国情が大いに関係していると言えるのです。これは日本で政権与党幹事長が、「仏教は度量の大きい宗教だと賞賛し、一神教であるキリスト教やイスラム教は排他的である」との発言がありました。一部のキリスト教団体から抗議があったものの、ほとんど問題にもされなかったのとは対照的な出来事でした。
そもそもシンガポールという国は、多文化・多民族国家であり、国の安定や秩序を守るためには、宗教的、民族的調和を維持することが重要である、という政策が基本にあることに起因しているようです。同国では、このためわざわざ千九百九十年に「宗教調和維持法」という法律を作り、民族間・宗教間のバランスと社会秩序を維持することに腐心をしているのが現状なのです。具体的には、聖職者が異なる宗教間の緊張を高めるような行動や、自ら信仰する宗教以外の宗教に対する無神経な発言、また宗教団体の名において社会的、政治的問題に関与すること等を禁止しているのです。
「日本の政権与党幹事長の宗教比較発言を検証する」
 昨年十一月十日、日本の政権与党幹事長が、高野山真言宗総本山金剛峰寺を訪問し、松長座主や庄野宗務総長と会談しました。会見後の記者会見で、幹事長は個人的な感想として、仏教と、一神教であるキリスト教やイスラム教など宗教の違いを述べたことに大きな反響がありました。
幹事長が高野山を訪れた目的は、別に宗教談義をしたかったのではありません。実は国内伝統仏教の多くは、それまで軸足を他党においていた、という歴史が長く続いておりました。全国の伝統仏教団体のほとんどが加盟している、財団法人全日本仏教会の会長が、高野山真言宗の管長職でもあるため、伝統仏教界とのパイプ強化の目的もあり、この度の表敬訪問となった、というのが真相のようです。
 さてこの会見後の幹事長の記者向けの発言内容が、仏教徒以外の立場からすると「意義あり」との認識が一部にあったようです。ではこの発言の内容は実際にどんなものであり、問題があったのかなかったのかを見てみましょう。
 先ず会見が幹事長側からのお願いで実現し、開口一番「念願かなって松長管長貌下との会談が実現しました」との幹事長の発言から始まったように、終始政権党と伝統仏教団体との融和関係を醸成する狙いで、友好的な雰囲気で会談が進みました。また高野山の千二百年という歴史の古さにも話が及び、今なおその仏教を守り続けてきたところ、気付いていない事が多いが、日本人の考え方、生活そのものの背景に仏教哲学があると思っている」との幹事長の発言もありました。さらには「仏教はあらゆる人を受け入れ、皆が仏になれるという度量の大きい哲学であり、管長が欧米人の前で仏教の真髄を説き聞かせることは非常に意義があり、嬉しく期待している」と発言したそうです。
これらの幹事長の発言は、何ら間違った説明はありません。それでは何故、一部の批判が出たのでしょうか。それは多神教と一神教との違いを、一神教は絶対的な存在であり、排他的だとの事実を簡潔に表現し過ぎたことと、説明不足があったかも知れませんが、仏教の長所を端的に表現されたに過ぎないと思います。
『東光寺様で解体法要』 静岡県浜松市西区坪井町
 去る1月29日(金)、浜松市西区坪井町の冨士山東光寺(臨済宗妙心寺派)様で、書院の解体法要が同派の愛宕山光雲寺の田中正文住職によって執り行われました。
東光寺様では、書院が老朽化していて、数年前には白鼻心が棲みついたり、強風で銅板の屋根の一部が剥がれかかってしまったりと、内部の構造ばかりではなく、外観からもわかるほど傷みも激しかったため、新築されることに決まりました。また、書院の南側にある鐘楼堂も、屋根瓦がずれたり壁が崩れたりと老朽化が著しく、檀家から鐘の寄進もあったため、今回一緒に解体されることになりました。
地鎮式は3月2日(火)、上棟は4月18日の予定です。


・・・苺(いちご)の話・・・

梅や桃の花がきれいに咲き、すっかり春めいてきました。最近は旬のためか新聞の折り込みチラシなどで苺を使ったスイーツ(和菓子や洋菓子・果物などの甘味全般で、最近マスメディアを中心にこう呼んでいます)をよく見掛けるようになりました。個人的には甘酸っぱい果物は苦手なのですが、これだけ目にすると苺について興味が湧きました。今回は苺の話です。
苺はバラ科の多年草で、石器時代には野生種が食べられていましたが、今流通しているオランダイチゴの種類は十八世紀のオランダで本格的に栽培され始めました。日本でも平安時代には野生種が食べられていたことが枕草子からもわかりますが、オランダイチゴの栽培は江戸時代末期から、食用としての栽培は明治になってからです。
苺に関しての疑問や誤解で多いのは、苺は果物なのかそれとも野菜なのか?苺は甘味のために果物として扱われることが多いですが、野菜にも見られます。実は野菜と果物の境界線自体がはっきりしていないようです。また、果実(子房が受粉後に肥大化したもの)だと思われがちな赤い部分は花托(かたく・花弁とめしべなどの接合部分)が肥大化したもので、種子だと思われがちな粒々の一つ一つが生物学上は果実になります。めしべが受粉すると花托が膨らみ始めますが、受粉しないとその部分は膨らまずに苺の形がデコボコになります。
おいしい苺を見分けるコツは、形が余りデコボコしていなくて大きく、全体的に赤くてツヤがあるもの、ヘタが青々としてピンとしているものを選ぶことです。苺は先端の方が甘いので、ヘタ側から食べていく方が段々と甘くなっておいしく食べられます。
苺には豊富にビタミンCが含まれていて、百グラム当たりでは意外にもレモンより多いのです。最近では非常に甘い種類も出てきましたが、甘い割にカロリーは高くなく、甘味成分にはキシリトールも含まれています。カリウムや食物繊維も多いので、美容と健康に非常に良い食品と言えます。

心ゆたかに No.85

発行日 平成22年1月1日
『曹洞宗盛福寺様で落慶式』 静岡県浜松市東区大島町

 昨11月1日(日)、浜松市東区大島町の大寿山盛福寺様(阪野全治住職)において、本堂の落慶法要が執り行われました。
 式典当日は天候に恵まれ、朝から大勢の人が集まりました。そして稚児行列が境内に入ると場内はパッと明るく華やぎました。
様々な供養や感謝状の贈呈など式典は恙無く行われ、寺族や建設委員を始めとした関係者、檀信徒一同は本堂の完成を祝い、新しい本堂を布教教化の場として今後ますます栄えていくことを祈念しました。
また、式典では天峰建設とイズモ殿の模擬店が賑わいに華を添えました。
『曹洞宗龍雲寺様で落慶式』 静岡県菊川市西方
 昨年11月3日(火)、菊川市西方の洞谷山龍雲寺様(村松延行住職)において、落慶式が執り行われました。
式典当日は前回のお披露目とは打って変わって仏天の御加護か晴天に恵まれ、関係者一同胸を撫で下ろしました。可愛らしい稚児行列から始まった式典は、先代住職の退董式、新住職の晋山、結制、上堂、それから落慶式、感謝状の贈呈と恙無く行われ、皆一人一人焼香して、本堂の完成を祝いました。
 龍雲寺様では今回の本堂新築の一連の工事として、旧本堂を移転改修した無量殿、書院、書院玄関の新築、水屋の移転なども行われました。新しい本堂を初めて目にする住職たちは、間口10間半、檜と欅の丸柱という鎌倉様式の堂々とした姿に感心していました。
新しい伽藍と新しい住職の新体制が始まり、今後ますますの発展が期待されます。


『仏教界も世の中の要請に応えた「新たな役割」を』
 日本テンプルヴァン㈱ 井上文夫
「昨年を表す漢字一字に『新』が選ばれたのは」
 昨年の「その年を表す漢字一字」として「新」が選ばれました。去年は新しいこと尽くめの年であったということもできます。アメリカでのオバマ新政権や国内では半世紀ぶりの鳩山新政権の発足が大きな出来事でした。
 日本漢字能力検定協会が全国に公募したその年を表す漢字で最も多かった文字が「新」となったとのことですが、第二位になった文字が「薬」であったことからも分かる通り、投票者がこれらの文字を選んだ理由の多くは、新政権など政治的な問題が一番念頭にあったのではなく、「新型インフルエンザ」やそれに対する「予防薬」(ワクチン)の話題などが「新」を選んだ理由であり、そこに最も関心が集中したからだろうと解説されております。
ところでインフルエンザは別に新しい病気ではなく、かなり昔から存在していた病気です。それではなぜ特に去年辺りから「新型インフルエンザ」とわざわざ「新」が付けられた病気になっていったかに興味が湧きます。それはある医学専門家によると「スペイン風邪だの香港風邪などと、インフルエンザがいろいろなタイプに変異していく度に、その都度対応ワクチンが開発されていきました。そのためもあり、ウイルスがどんな抗体にも負けないウイルスに自ら変異しながら生き延びてきた結果が、新型インフルエンザの出現へと結びついていったのだ」と解説していました。病原菌でもある「ウイルス」でさえ、生き延びるために新しい姿、形に自らを変えながら生命を継続させてきたそうで、ウイルスの生命力の強さが理解できる話です。
自らを永続的に存続させるために、身なりを変えてまで本能的に奮闘している様子を、この新型ウイルスから知ることができました。
「仏教界に『新たに』寄せられる期待は大きい」
宗教離れや寺離れが言われて久しい中にあって、お寺の総数は今でも七万ヶ寺を超えるほど存在しています。この数字がどれほどなのかは、昔からあった商店を駆逐してしまうほど数多くあるコンビニと比較すると、よく分ります。コンビニの総数は四万数千にまで達し、最近の都会地では先に存在しているコンビニの近所に、新たなコンビニが出店されるほどの出店ラッシュであるため、過当競争に陥り、一部では閉店や廃業をするオーナーも表れているとのことです。
目的や存在意義が全く異なるので比較は適当ではないかも知れませんが、お寺をコンビニに較べますと、その総数はほとんど変わっておらず、お寺を廃止するケースは滅多にお目にかかりません。つまりコンビニや商店の廃業は続いても、お寺の数は変わっていないのです。何故でしょう。それは端的に言ってそれだけ社会のニーズがあるという解釈もできるのではないでしょうか。
当り前の話ですが、世の中から必要性を認められないものは、結局は自然に淘汰されていくのは世の常です。無論、お寺も例外ではありません。これだけの宗教離れ、寺離れが言われている中、こんなに多くのお寺が存続していけるのは、紛れもなくお寺や、さらには仏教に対する期待の現れでもあるのです。問題はこのような社会の期待に応えた活動(ご法務を含め)がなされているかどうかです。
一般の活動は、お檀家向けの先祖供養が中心です。この活動が明治時代から戦後を経て今日まで続いてきました。家制度が磐石であった時代には、これだけでも充分な社会的ニーズを満たすことが出来ました。しかし時代も変わり、お寺に対する社会的役割も微妙に変化してきており、今まで通りの先祖供養を中心とした活動だけでは、現代社会の要請に応えられなくなってきております。その新しい役割とは、活動の対象を、先祖から生きている人間にも法施を提供していくことから始まるのではないのでしょうか。これさえ叶えられれば、まだまだお寺が十分存続していく事は可能であり、さらにその存続が益々必要なものになっていくはずです。仏教界に寄せられる期待には大きいものがあることは忘れてはなりません。
『曹洞宗興徳寺様で上棟式』 静岡県磐田市森下
昨年12月19日(土)、磐田市森下の長松山興徳寺様(八神英典住職)において、本堂の上棟式が執り行われました。
式典当日は晴天に恵まれたため、寒空の下とはいえ、早い時間から大勢の人が集まりました。組み上がった間口10間半の堂々とした檜と欅の丸柱の木組みを目にした人々は、その雄姿にしきりに感心していました。式典では、装束に身を包んだ棟梁たちによる古式ゆかしい工匠の儀も行われ、参列者の目を喜ばせました。式典は恙無く行われ、一人一人焼香して今後の工事の無事を祈りました。最後に餅撒きが行われ、皆袋をいっぱいにして満足そうに帰りました。
完成は来年3月を予定しています。

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『新年のご挨拶』 天峰建設 代表取締役 澤元教哲


 旧年中は各御寺院様、御団体、多岐にわたって公私共に大変お世話になりました。本年も変わらぬご愛顧のほど、何卒宜しくお願い申し上げます。
 さて、昨年の世相を表す漢字に「新」が選ばれたことは、皆様の記憶にも新しいことと思います。弊社におきましても、少しでもきめ細かなサービスを提供したい、または、本堂の新築などの大掛かりな仕事ばかりではなく、もっと御寺院様にとって身近な日常生活に関わってくるような、床のブカブカを直したいとか、手摺を付けたいとか、そういった仕事も対応していることを知っていただきたいと、昨年半ばより「お気軽FAX申込書」というものをお配りさせて頂くことにいたしました。宮大工の会社として本業である伽藍の建築に精進することは至極当然のことですが、不況と言われて久しい中をここまで天峰建設が存続して来られたのは、全て御寺院様のお陰、ひいては浄財を出して下さっている檀信徒のお陰、そういった御縁に少しでも報いたいという気持ちから、寺社建築の肩書に胡坐をかくことなく、俎板一枚からでも、包丁の砥ぎまでも、御要望とあらば即座に対応していきたいという気持ちからでした。
早速申込を頂戴したり、「天峰さんはこんなことまでやってくれる会社だとは思わなかった」というご意見を頂くなど、段々と皆様に認知されつつあるなと実感しております。ただ、せっかくお声を掛けて頂いたにもかかわらず、こちらの不手際で即座の対応が出来なかったこともありましたので、今後はそういう管理を徹底し、お施主様をお待たせしない体制創りが急務であると大いに反省いたしております。
昨年は、長男も鎌倉様式の本堂を完成させて経験を積みましたので、本年から大工を卒業させて経営陣として加え、会社の管理能力をより高めてまいります。まだまだ若輩者ではございますが、私共々御指導御鞭撻を賜りますよう、改めてお願い申し上げます。

・・・・・・・・・・・・編集後記・・・・・・・・・・・・・ 昨年は大変お世話になりました。本年も宜しくお願い致します。
新年早々ですが、前号の訂正をさせていただきます。「清水寺管主」は「清水寺貫主」の間違いでした。大変申し訳ありませんでした。ここでお詫びと訂正をさせていただきます。 天峰建設 企画営業 井口 哲

心ゆたかに No.84

発行日 平成21年11月1日
『曹洞宗興徳寺様で地鎮式』 静岡県磐田市森下

 去る9月11日(金)、磐田市森下の長松山興徳寺様(八神英典住職)において、本堂と位牌堂の新築にともなう解体法要が執り行われました。
 そして、旧本堂と位牌堂が無事に解体され、同月28日(月)、地鎮式が執り行われました。
地鎮式には建設委員を始めとした関係者の方々が列席され、厳かな雰囲気の中、皆一人ひとり焼香して、今後の工事の無事を祈りました。
上棟式は今年の12月19日(土)の予定で、完成は再来年、平成23年の3月末を予定しています。
『念願のお披露目』 曹洞宗龍雲寺様
 去る10月3日(土)、菊川市西方の洞谷山龍雲寺様(村松了章住職)において、完成を目前に控えた本堂の檀信徒御披露目式が執り行われました。
龍雲寺様では11月3日(火)に落慶晋山式を予定され、その時には大勢の寺院の方がお見えになられることがわかっていたため、せっかく浄財をお寄せ下さった檀信徒の方に満足なおもてなしをできないのではないかとご配慮なされて、檀信徒御披露目式を落慶式に先がけて行われたのです。
式典の前日より雨が降っていて、当日も朝は雨が降っていましたが、仏天の御加護か、鏡開きの頃には嘘のように晴れ渡りました。式典には遠く京都から清水寺管主の森清範様もお見えになられ、講話をなさいました。普段なかなかお目にかかれない管主様の有り難いお話に、檀信徒の方は皆興味深く耳を傾けていました。境内では樽酒やうどん、お赤飯等が振る舞われました。
 天峰建設も模擬店で焼きそばや焼き鳥を無料で提供し、式典の賑わいに花を添えました。


『科学と仏教の接点・関係について』
 日本テンプルヴァン㈱ 井上文夫
「仏教も科学も世界の真理を追求する目的は同じ」
 10月17日に行われた「科学と仏教の接点Ⅲ」に参加してきました。花園大学と東京禅センターとの共催で行なわれ、難しいテーマでもありましたが、東大の大講義室が参加者で溢れるぐらいの盛況ぶりでした。
講師は科学の立場からは、東大数理科の合原一幸教授、そして仏教の立場から花園大学の佐々木閑教授のお二人でした。講師のお二人は仏教と科学という、およそ接点を探すのが難しい中、「お互いによく話をしてみたら、どちらも物事の心理を追求し、人々の幸せを求めていく、という立場では目的は一緒だった」ということから、すっかり意気投合し、以来親しく付き合っておられるとのことでした。
 講師の一人である佐々木閑教授は、長いこと朝日新聞に「日々是修行」というコラムを書いていました。これは読みやすい文章、仏教的専門用語は一切使わず親しみやすいコラムで、多くのファンができたそうです。最近ではコラムを読み損なった人のために、ちくま新書から同名の新書が出版されています。
この佐々木教授は、仏教と科学のお互いの立場・関係について、次のように説明をしています。仏教は心の中の法則を探求する宗教なのだが、これと対になる分野が科学である。科学の分野も仏教と同じく、世界の法則を発見することにあるのだが、ただそれが外部にある物質世界の法則だという点に、仏教との違いがある。仏教は智慧の力で「心の法則」を探求し、科学は智慧の力で「物質世界の法則」を探求する。仏教と科学は、互いに補い合い、尊敬し合うことのできる、同じ次元の領域なのである(平成19年10月25日朝日新聞「日々是修行」から引用)と解説しております。実はこの発想は、恐らく佐々木教授が仏教に傾倒するまでは、京大工学部を卒業され、科学の分野にも理解が深いことで、初めて可能になったのでは、と私は思います。
「科学は仏教・宗教と融合してこそ真価を発揮」
以前この原稿の中で、足利市で少女が殺害され、善良な一市民が科学技術の産物である未だ稚拙なDNA鑑定データだけに頼りすぎた結果起きた冤罪であり、関係者仏教的素養があれば防げた事件、と書きました。これと似たような例は枚挙に暇がありません。例えば原子力は、人々の生活に資することに限定すれば、大変すばらしい科学技術であるのに、戦争に使われ、日本人が何十万人も亡くなるという歴史には、一方でそれを阻止する力になり得なかった宗教の無力さを感じます。
また昨年世界中を震撼させたリーマンショックによる世界的な経済の破綻は、科学技術の落とし子であり、そこには何らの倫理観や宗教観のかけらすら持ち合わせていない金融工学に頼りすぎ、お金儲けだけに猛進したことにより惹起した「因果応報」による結果であるとも言うこともできます。
 このように科学技術は人間やこの世の中の生き物にとり、正しいことにも使えば、反対のことにも使うことができ、同じ技術であっても、使われ方の違いによってはその技術自身が悪魔の手先となってしまいます。この両者は、まさに使われ方により結果は正反対のものになります。ではこの科学技術を正しい方向にだけ使わせる分別はどのようにすれば可能になるのか、それさえ導き出せれば、再び愚かな過ちを犯すのを回避できるかも知れません。
お寄せいただくお客様の声☆お気軽に天峰建設へ御相談を
前述の両教授の討論は、少し数学的な理論に走りすぎたきらいがあり、どちらかというと人文科学系に馴染みのある参加者がほとんどです。その中で、二次元方程式がどんどん書き込まれながら進んでいき、あたかも数学者討論会の様相を呈していました。そのようなセミナーにはついていくのが大変という印象を持ったのは私だけではなかったかと思います。しかし、この時に特に感じたことは「科学と宗教はお互いに対立するものではない」ということです。この両者の融合やお互いの領域へのそれぞれが影響し合うことにより、より向上・進化していき、この両者が融合してこそ真価を発揮できるのではないか、という印象をこのセッションを聴いて強く感じました。
本紙に添付して配布させていただいている「お気軽FAX申込書」は、順調に認知され始めている様で、少しずつ御相談もお寄せいただいております。
FAXでの申し込み以外にも、訪問時に御相談されるものの中で最近目立つのは、御位牌の転倒防止策です。やはり、八月十一日の地震で実際に御位牌が倒れる被害が出ているせいでしょう。
また、10月8日の台風後のお客様への電話調査では、木が転倒したり枝が落ちたり、屋根の損壊などの被害が目立ちました。

・・・羊肉の話・・・
 秋祭りシーズンも過ぎ去り、涼しいというよりは日に日に朝晩の冷え込みが増しています。鍋料理のおいしい季節の到来です。鍋と言っても色々な種類があるので、何を採り上げようかと悩んでいたら、何故か頭に浮かんだのがジンギスカン鍋。ジンギスカンは羊肉を用いた焼き肉の様な料理なので、ジンギスカン鍋は、鍋料理とは関係無いかも知れませんが、色々と調べていたら、羊肉の素晴らしさがわかりました。ということで、今回は羊肉の話です。
羊は1万年以上昔から家畜化され、羊毛や羊肉が重宝されてきました。余談ですが旧約聖書に出てくる人類初の兄弟喧嘩の原因は、神が兄カインの農作物の供物を無視し、弟アベルの羊肉の供物を喜んだことでした。
日本では明治以前は肉食の習慣そのものが余り無かったのですが、大正時代に軍服などの材料として、羊毛を増産する計画が立てられ、それに伴って羊肉の消費の増大のために色々な料理が考案されました。その中の一つが今のジンギスカンの原形となった様です。そして、現在ではジンギスカンは北海道の代表的な料理として定着し、福島県の遠野市ではレジャー感覚でジンギスカンが頻繁に食され、ブリキのバケツに穴が開けられて七輪の様に用いる「ジンギスカンバケツ」まで売られているくらいです。
羊肉は健康に良い肉と言われていますが、その理由は、牛肉や豚肉に比べて脂肪の割合が少ないことです。さらに、その脂肪の融点が四十四℃と人の体温よりも高いために吸収されにくいと考えられています。他にはコレステロール値も魚肉並みに低く、100g当たり50mgしかありません。しかもコレステロールを下げる不飽和脂肪酸を他の食肉よりも多く含んでいます。そして、羊肉がダイエットに良いとまで言わしめている物質が羊肉に豊富に含まれるカルニチンと言うアミノ酸です。体内に溜まった脂肪は、遊離脂肪酸と言う燃焼しやすい形に変えられて細胞内のミトコンドリアに送られて燃焼させられるのですが、カルニチンが無いと遊離脂肪酸がミトコンドリアに到達しないのです。カルニチンはラム(一歳未満の子羊の肉)よりもマトン(一歳から二歳の羊の肉)の方が多く含まれています。
羊肉はマトンの臭いと硬さのために敬遠されがちですが、料理によって香辛料や香味野菜と組み合わせれば、案外臭いは気にならないかも知れませんし、ラムはマトンほど臭いがありません。羊肉に親しみ健康に活かしてみましょう。今年は富士山静岡空港が開港して北海道も身近になりました。ジンギスカンを気軽に食べに行くのも一興です。

心ゆたかに No.83

発行日 平成21年9月1日
『念願の落慶式』 高野山真言宗久延寺様
 去る8月11日(火)、掛川市佐夜鹿の佐夜之中山久延寺様(高野山真言宗・太田真明住職)において、本堂屋根換え及び耐震改修工事の終了を祝う落慶式が執り行われました。
 去る6月20日(土)、磐田市小島の拈華山正眼院様(曹洞宗・清泉文英住職)において、書院と庫裡の落慶式が執り行われました。
式典当日は仏天のご加護か梅雨時にもかかわらず良い天気で、参列者をほっとさせました。落慶法要や檀信徒先祖供養、記念式典が恙無く行われ、和気あいあいと完成を祝いました。堂々とした平屋造りの書院と庫裡、書院玄関の唐破風の庇と大屋根が特徴です。
 式典当日の早朝、静岡県の駿河湾を震源地とするM6.5(Mは地震の規模を表す単位マグニチュード・阪神淡路大震災を引き起こした兵庫県南部地震はM7.3でした)、最大震度六弱を記録する比較的大きな地震が発生し、同寺院のある掛川市でも倒壊こそせずとも民家の屋根瓦が落ちるなど建物の被害が多数発生し、寝起きを襲われた県民の多くは、いよいよ東海地震かと不安に戦きました。断水した地域もあったり、物流の大動脈である東名高速道路の法面が崩落し通行止めになるなど、県内のみならず震源地から遠く離れた県外にまで多大な影響を与え、改めて地震に対する備えの重要さを喚起させました。耐震改修が施された同寺院の本堂では全く被害が出なかったため、式典に参加した関係者一同は、「耐震工事をしていないままであったら老朽化していた本堂はどうなってしまっていただろうか?耐震改修をしておいて良かった」と胸を撫で下ろすとともに、耐震改修の効果に感心しました。式典は恙無く行われ、関係者はこれまでの苦労をいたわり、浄財を寄せてくれた方たちに感謝し、工事の完成を祝いました。同寺院の一連の工事の経緯は、本紙第80号でも触れていますが、支援を呼び掛ける記事を掲載された静岡新聞、浄財を寄せてくださった方たち、今回の地震が耐震工事が終わるまで起きなかったこと、など様々な縁の有り難さを改めて思い知りました。

『今夏から始まった裁判員制度と宗教者の悩み』
 日本テンプルヴァン㈱ 井上文夫
「宗教者は裁判員選任を辞退できるか」
 いよいよ日本でも裁判員制度が開始され、お盆までに既に二つの裁判が行なわれたのはご存知の通りです。
 ところで司法制度改革の一環で始まったこの裁判員制度の導入の背景は、あまりにも長時間を要する過去の裁判や、社会から遊離してしまっている裁判官の感覚に、庶民感覚をも取り入れようという狙いがあったのも事実です。しかし一方で専門家だけによる法の支配の中身を見直そうとの機運の高まりにより「国民が大切にされ、国民主権が担保されていなければ法とは言えない」との趣旨から、国民が主権者として裁判に直接タッチできる仕組みを求めてきた末に生まれた制度とも言われております。このことは、裁判員法第一条に「司法に対する国民の理解の増進とその信頼の向上に資する」と記されている通りです。
さて宗教者も裁判員に選任される場合がありますが、万が一選任された場合、自らの信条に従い、参加を拒否できるかが問題点の一つです。裁判員法や政令などには、思想・信条を理由に裁判員を辞退できるという規定は設けられていないため、宗教者だからと言って辞退することは出来ないと思われます。しかし立法過程で「宗教上の理由で裁けない人もいる」との意見が出されたため、「裁判参加で精神上の重大な不利益が生じる」と裁判官が認めた場合や、年齢が七十歳以上の人など一定の条件を満たした場合に限り、辞退を申請することが認められています。ちなみにイギリスやドイツなど刑事裁判への国民参加の伝統がある国では、法律で聖職者が裁判に参加できない、というように定められている国さえありますが、この点からみても、日本では宗教に対する配慮のなさがうかがえる一例と言えます。

「裁判員制度が完全でなければ改善を目指せばいい」
裁判員が参加する裁判は、殺人など刑罰が重い犯罪を対象とする裁判にも関わることになります。その中で当然被告人に死刑の判決を下す場面にも遭遇します。宗教や宗派の中には「死刑を認めない」という立場があります。一方、「罪を憎んで人を憎まず」という考え方の人もいます。また宗教者者は「宗教の教えに従えば人を裁けない」という考え方もあります。
かように宗教者が裁判員として裁判への参加が義務化されたとき、いろいろな立場や考え方があり、非常に複雑な立場に立たされることになります。しかし宗教者が裁判員として裁判に関わる事は、表現を変えれば、宗教者が社会にどのように関わっていくか、という問題と同意語ということができるのではないでしょうか。
過去、宗教の名を借りたオウム事件など、数々の事件を経験してきました。その都度社会からは、この問題に対し、宗教者は一体どう発言し、どう関わってきたかが問われてきました。よく聞く議論は、宗教者はこれら社会的問題に消極的で、関わりを持たないように避けてきた、との批判を耳にしました。ある意味、この裁判員制度も、国民が社会的問題にどうタッチしていくかが問われ、また参加を求められている以上、いくら宗教者とは言えその前に、宗教者も社会の一員である限り、他の社会人と同様に、裁判員制度に協力していくのが妥当ではないか、と考えております。その中で、もし自身の思想・信条から従えないことがあるならば、そのことを主張もし、さらには裁判官や他の裁判員に対し、さすがに物事の真理を深く追求している宗教者だと認識されるぐらいに、ご自身の主義・主張の論陣を張ればいいのではないかと思います。
しかしどうも過去二回の裁判員が参加した裁判を見てみますと、裁判員には自由闊達な自説を披露するような機会は、少なくとも公開の裁判上では与えられていないような気配ですが、それも今後時間を掛けて、改善・改良を目指していく中で、理想的な裁判員制度に育てていくことが可能ではないかと思っております。
**お気軽FAX申込書**天峰建設で新たなサービス始まる**
本紙前号の配布時より、「お気軽FAX申込書」を、本紙の中に挿み込んでお届けするように致しました。
 既にご覧になった方はおわかりかと思いますが、これは、日頃ご寺院様が抱えていらっしゃる可能性が高い問題に項目を絞って、ご寺院様からお気軽に相談して頂ける様にとの思いで始めた新しいサービスです。
本紙の配布時にお声を掛けて相談して下さる場合ももちろん大歓迎ですが、運悪くお留守などお会いできないこともございま

・・・地震の話・・・

 去る8月11日(火)の早朝五時七分、静岡県の御前崎沖の駿河湾を震源地とするマグニチュード六.五の地震が発生しました。最初は小刻みの揺れを感じたのですが、まだ夢の中にいた私は、とっさのことに何が起きたかわかりませんでした。そのうちゆさゆさと大きく揺れ始めたのでようやく地震だとわかりました。今まで経験した地震よりも大きかったため、「これは東海地震が起きたのかも知れないぞ!」と思いましたが、呆然とするばかりで結局避難も何もできませんでした。幸い我が家には何の被害もありませんでしたが、その後ラジオやテレビのニュースを通して各地で様々な被害が発生していたことを知りました。本紙を配布しながら県西部を回っている時にも、屋根にブルーシートを掛けてある建物を結構目にしました。もしもマグニチュード八級と想定される東海地震が起きたら、我が家は屋根だけの被害で済むだろうか?生き残れるだろうか?被災後の生活はどうなるだろうかと、色々と心配は尽きません。前振りが長くなりましたが、今回は地震の話です。
日本付近ではマグマの上昇によって発生する火山性地震、プレートの移動によって引き起こされる地震がよく発生します。プレートとは、地球の表面の厚さ百㎞ほどの部分で、日本付近ではユーラシアプレート、北米プレート、太平洋プレート、フィリピン海プレートの四つがあり、特に静岡県では伊豆半島の付け根辺りでユーラシアプレート、北米プレート、フィリピン海プレートの三つが境界を接しています。プレート同士の境界では、それぞれのプレートの動きによってプレート同士が押し合って隆起したり、一方が他方の下に潜り込んだりしています。海洋プレートが大陸プレートに潜り込むときに大陸プレートに歪みを与え、その歪みのエネルギーによって活断層が生じたり(断層型地震)、歪を一気に解消しようとする時(プレート境界型地震)に地震が起きます。プレート境界型地震は、非常に大きな地震になります。地震が何時、何処で、どのくらいの規模で起きるのかを予知することは出来ません。地震そのものを防ぐこともできません。私たちにできることは、地震が発生した時に、いかに被害を小さく抑えるかと、震災後に生活レベルをなるべく落とさないように備えておくことくらいです。建物の耐震診断や耐震工事はお済みですか?家具の転倒防止対策は充分ですか?家族の避難場所や連絡方法も予め決めておくことが大切です。最低三日分の飲料水と保存食、懐中電灯、ラジオなども準備しておき、地域の防災訓練にも積極的に参加するようにしましょう。

心ゆたかに No.82

発行日 平成21年7月1日
『念願の落慶式』 静岡県西部各地で
 去る5月17日(日)、浜松市東区上新屋町の池上山宝珠寺様(臨済宗方広寺派・稲垣邦圓住職)において、庫裡・隠寮・大玄関の落慶式が執り行われました。式典当日は本山の管長猊下を始め同派のご寺院様をお招きし、檀信徒の先祖供養も行われ、大勢で落慶を祝いました。庫裡の起り(むくり)屋根と唐破風の大玄関が特徴です。
 去る6月14日(日)、浜松市浜北区新原の澗泉山瑞応寺様(臨済宗方広寺派・森田浄圓住職)において、本堂・位牌堂・山門・研修室の落慶式が執り行われました。
式典当日は良い天候に恵まれ、大勢の人が集まりました。瑞応寺様では本堂焼失以来12年越しの悲願が達成され、大いに落慶を祝いました。天峰建設や出雲殿による模擬店も落慶にささやかながら華を添えました。

去る6月20日(土)、磐田市小島の拈華山正眼院様(曹洞宗・清泉文英住職)において、書院と庫裡の落慶式が執り行われました。
式典当日は仏天のご加護か梅雨時にもかかわらず良い天気で、参列者をほっとさせました。落慶法要や檀信徒先祖供養、記念式典が恙無く行われ、和気あいあいと完成を祝いました。堂々とした平屋造りの書院と庫裡、書院玄関の唐破風の庇と大屋根が特徴です。


『科学技術信仰が過ぎた結果、惹き起こした冤罪』
 日本テンプルヴァン㈱ 井上文夫
「人の人権より、科学技術を重視した過ち」
 国内の宗教心に関する世論調査では、「何か宗教を信じている」と答えた人は僅か二十六%しかおらず、実に七十二%もの人々は「宗教を信じない」としているのです。(読売新聞平成20年5月17日)これは国民の四人のうち三人までもが宗教を信仰していないという数字です。このことは、前号でお知らせしたドイツの人口に占めるキリスト教信者の割合である、73%と較べて実に大きな違いがあります。
ところが皮肉なことに日本には、驚くほど誰もが篤く信じている信仰があると言われています。それは「科学技術信仰」です。それも度が過ぎた「科学技術妄信・信仰」なのです。日本人のほとんどが「これは科学的に証明されている」と聞かされた途端、そのまま思考停止に陥ったが如く、自らの判断を全くしないで、科学的データを根拠にされた結論を頭から信用してしまうことです。
 つい先般栃木県足利で、科学技術データ過信による冤罪が起きてしまいました。結果論かも知れませんが、今になって担当弁護士やその他の関係者の誰もが、無実でありながら、十七年間もの間牢獄に繋がれていた菅家さんを評して、「誰が見たってこの菅家さんは、澄んだ目をしており、犯人と見間違えるはずがないほどの善良に見える」と述べていました。司法は、本来人間が人間を裁くのだから、先ずは被疑者を人間として、自らの眼で直視し、自ら判断すべきです。しかしそういう立場の警察や検察や裁判官までもが、科学技術信仰の虜になってしまった結果、自らの目が曇ってしまい、真実が見えなくなっていた、と言っても過言ではありません。
日本では憲法上でも、個人の人格権の尊重ということを何よりも重視しています。無論、被疑者に対しても、当然人権が否定されるはずもありません。しかし今回、無実の被疑者は最初から完全に人権を無視されていたことになります。

「宗教と科学とは相容れないのか」

人間は本来「絶対的だ」という情報が先にインプットされていた場合、以降その先入観に支配されてしまいます。足利事件発生当時のDNA鑑定は、それほどの精度はなく、八百人に一人しか特定できない程度の精度だったと言われています。その当時の足利市の人口から推計すると、なんと同じDNAの型を持った人が他に百八十人にもなるほど、精度が低い鑑定結果だったのです。この事実がもっとマスコミにも取り上げられていたとしたら、結果は異なっていたに違いありません。
ところが警察も率先して、DNA鑑定は絶対的だとのかなりミスリードな発表をし、それを受けたマスコミまでもが何の疑念も持たないで、その当時の先端的科学技術の産物であるDNA鑑定を信じてしまい、警察発表そのものをストレートに報道したのです。当然ながらその記事や放送を見た人々も、報道は真実を伝えるものだとの思い込みが強く、素直に受取ることになってしまったのです。
ところで科学と宗教とは、十六世紀のコペルニクスによる地動説や、十九世紀のダーウィンによる進化論が契機となり、その両者の対立の歴史が長く尾を引き、未だに双方互いを否定するとか、対立をしていると思っている人が大勢います。しかしアインシュタインは、「宗教と科学は調和するものだ。両者は互いに依存しており、真理の追究という共通の目標を持っている」
と言っているのです。また二宮尊徳の「道徳を忘れた経済は罪悪であり、経済を忘れた道徳は寝言にすぎない」の言葉を借りれば「宗教を忘れた科学は罪悪であり、科学を忘れた宗教は寝言にすぎない」とも言い換えることができるのではないでしょうか。大切な事はこの両者の調和であり、一方だけに偏らない、仏教でいうところの中庸の精神が求められると思います。宗教を否定し、科学技術だけが独走することは絶対に避けなければなりません。それは今回の足利事件を例に挙げるまでもなく、科学技術だけに振り回された関係者全員に、もう少し信仰的涵養心があれば、避けられた事件だったと思います。
『よみがえれ!七重塔 よみがえれ!心』
プロジェクト7甦れ!七重塔 第二回講演会

去る5月30日(土)、磐田市上新屋のアミューズ豊田において、右記の講演会が催されました。
開催主のプロジェクト7甦れ!七重塔(大橋芳隆代表)は、磐田市見付の国分寺跡公園に、かつて国分寺に建てられていた七重塔(推定高さ六七.八メートル)の再建を目指す有志の団体です。当日はミニコンサートや講演で大いに盛り上がりました。

『曹洞宗天龍院様で聞法の集い』静岡県磐田市上野部
去る6月3日(水)、天龍院様で曹洞宗静岡県第三宗務所第十六教区の護持会集会が開かれ、会合後、住職方と各御寺院の護持会役員、天龍院様の檀信徒の皆さんを対象とした曹洞宗特派布教師巡回による聞法の集い(法話の会)が行われました。
自らの介護の体験を交えた物事の捉え方と愛語についてのわかりやすいお話に、皆夢中になって聞き入っていました。ありがたいお話がそれぞれ心に響いたようです。

・・・胡瓜(きゅうり)の話・・・

 暑さが本格的になり、よく冷えたビールが美味しい時期になりました。尿酸値の上昇に怯えつつも、ビールを我慢できるか心配な今日この頃です。また、ビールでなくとも、ついつい冷たい飲み物や氷菓子に手が出てしまう人も多いと思います。熱中症対策には充分な水分を摂取することは非常に良いことですが、水分の取り過ぎはかえって夏バテの原因となってしまいます。今回は夏バテに効果のある胡瓜の話です。
胡瓜はインド北部やヒマラヤ山麓が原産のウリ科キュウリ属の蔓性の一年草で、日本では平安時代から栽培されています。500種も栽培されていて、白イボ系と黒イボ系に大別されますが、日本ではほとんどが白イボ系です。
胡瓜は90パーセント以上が水分で、栄養(熱量)はほとんどなく、世界で一番栄養の無い野菜としてギネスに載るくらいです。その代わり、ビタミンやミネラル、食物繊維がバランス良く含まれています。胡瓜の水分は粒子が細かく血流をスムーズにするので、全身の活性化につながります。また、カリウムが豊富に含まれているので、利尿作用によって余分な水分を排出してくれるので、胡瓜を食べれば効果的に水分補給しながら、むくみも予防してくれます。カリウムは血液中の過剰なナトリウムを排泄してくれるので高血圧予防にも役に立ちます。
胡瓜には身体にこもった熱を排出してくれる作用もあると昔から言われていて、夏バテ対策には効果的な食材です。アルコール代謝を促進させる効果もあるので、ビールのつまみにももってこいですね。ベータカロチン(ビタミンA)やビタミンCも含まれているので、活性酸素を取り除いたり、美肌効果もあります。胡瓜のヘタに近い皮に含まれるククルビタシンは、癌細胞の増殖を抑える効果があると言われ、青臭さの成分ピラジンは血栓を予防するので、脳梗塞や心筋梗塞予防にも役立ちます。
なお、胡瓜にはビタミンCを酸化させる酵素も含まれているので、ビタミンCを豊富に含む他の食材と組み合わせる時は、加熱するか酢やレモン果汁を加えると良いです。
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++胡瓜酒の作り方++
用意する物=
 胡瓜5本
 35度のホワイトリカー1ℓ
 密閉できる広口瓶
1.胡瓜をよく水洗いし水気をしっかり取る。
2.胡瓜とホワイトリカーを広口瓶に入れる。
3.瓶を密封し冷蔵庫に入れ3日待つ。
4.瓶から胡瓜を取り出して完成。
※胡瓜酒は夏バテの食欲不振に効果的です。
※飲み過ぎはかえって胃腸に良くないので注意!
※1ヶ月を目安に飲み切りましょう。