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心ゆたかに No.86

発行日 平成22年3月1日
『貴重な体験・薬師寺東塔見学』 天峰建設代表取締役 澤元教哲

 去る2月26日(金)、奈良県奈良市西ノ京町の法相宗大本山薬師寺様(山田法胤管主)を訪れ、国宝の東塔を見学させていただきました。
薬師寺様では昨年10月から十年間に及ぶ東塔の解体修理に着手しておられ、今年の2月いっぱいまでは解体のための調査が行われていました。そのため、調査用の足場に囲まれており、せっかくの雄姿の全景を目にすることはできませんでしたが、その足場のお陰で、普段はまず目にすることのない角度から、間近で細部を見学することが出来ました。寺社建築の伝統の技を受け継ぎ、後世に伝えていく責務を持つ宮大工といたしましては、非常に貴重な体験となりました。
今回の見学の目的は、百年から数百年に一度くらいしかない国宝の伽藍の解体修理(本格的な全解体修理は今回が初)の、その時でしかお目に掛かれない構造の見学(先人の知恵と技術、経年変化の様子を見ること)にあったので、目的は十分に果たせました。
また、今回の見学は、お世話になっている御寺院様の御紹介があって参加させていただきましたが、つくづく御縁と言うのはありがたいものだと思いました。
解体の工事が始まりましたらまた、見学に行きたいと思います。


『他宗教への批判に対するお国柄の違い』
 日本テンプルヴァン㈱ 井上文夫
「シンガポールでは他宗教批判意見を禁止」
 昨年シンガポールでキリスト教牧師が、仏教に対し無神経な発言をし、さらにホームページにもそのことを掲載しておりました。この発言が今年の二月に問題視され、この発言をした牧師は国内治安当局(ISD)から呼び出しを受けました。
 当局から「発言は不適切」との指摘を受けた同牧師は、ホームページに「仏教、道教に対する無神経な発言を謝罪する。他の宗教をばかにするようなことは二度としない」との謝罪文をホームページに掲載した、というニュースがありました。
シンガポールはもちろん自由主義の国であり、信教の自由も認められている国であるにも関わらず、何故「他宗教批判」が問題視されるか。それはシンガポールという国の歴史や現在の国情が大いに関係していると言えるのです。これは日本で政権与党幹事長が、「仏教は度量の大きい宗教だと賞賛し、一神教であるキリスト教やイスラム教は排他的である」との発言がありました。一部のキリスト教団体から抗議があったものの、ほとんど問題にもされなかったのとは対照的な出来事でした。
そもそもシンガポールという国は、多文化・多民族国家であり、国の安定や秩序を守るためには、宗教的、民族的調和を維持することが重要である、という政策が基本にあることに起因しているようです。同国では、このためわざわざ千九百九十年に「宗教調和維持法」という法律を作り、民族間・宗教間のバランスと社会秩序を維持することに腐心をしているのが現状なのです。具体的には、聖職者が異なる宗教間の緊張を高めるような行動や、自ら信仰する宗教以外の宗教に対する無神経な発言、また宗教団体の名において社会的、政治的問題に関与すること等を禁止しているのです。
「日本の政権与党幹事長の宗教比較発言を検証する」
 昨年十一月十日、日本の政権与党幹事長が、高野山真言宗総本山金剛峰寺を訪問し、松長座主や庄野宗務総長と会談しました。会見後の記者会見で、幹事長は個人的な感想として、仏教と、一神教であるキリスト教やイスラム教など宗教の違いを述べたことに大きな反響がありました。
幹事長が高野山を訪れた目的は、別に宗教談義をしたかったのではありません。実は国内伝統仏教の多くは、それまで軸足を他党においていた、という歴史が長く続いておりました。全国の伝統仏教団体のほとんどが加盟している、財団法人全日本仏教会の会長が、高野山真言宗の管長職でもあるため、伝統仏教界とのパイプ強化の目的もあり、この度の表敬訪問となった、というのが真相のようです。
 さてこの会見後の幹事長の記者向けの発言内容が、仏教徒以外の立場からすると「意義あり」との認識が一部にあったようです。ではこの発言の内容は実際にどんなものであり、問題があったのかなかったのかを見てみましょう。
 先ず会見が幹事長側からのお願いで実現し、開口一番「念願かなって松長管長貌下との会談が実現しました」との幹事長の発言から始まったように、終始政権党と伝統仏教団体との融和関係を醸成する狙いで、友好的な雰囲気で会談が進みました。また高野山の千二百年という歴史の古さにも話が及び、今なおその仏教を守り続けてきたところ、気付いていない事が多いが、日本人の考え方、生活そのものの背景に仏教哲学があると思っている」との幹事長の発言もありました。さらには「仏教はあらゆる人を受け入れ、皆が仏になれるという度量の大きい哲学であり、管長が欧米人の前で仏教の真髄を説き聞かせることは非常に意義があり、嬉しく期待している」と発言したそうです。
これらの幹事長の発言は、何ら間違った説明はありません。それでは何故、一部の批判が出たのでしょうか。それは多神教と一神教との違いを、一神教は絶対的な存在であり、排他的だとの事実を簡潔に表現し過ぎたことと、説明不足があったかも知れませんが、仏教の長所を端的に表現されたに過ぎないと思います。
『東光寺様で解体法要』 静岡県浜松市西区坪井町
 去る1月29日(金)、浜松市西区坪井町の冨士山東光寺(臨済宗妙心寺派)様で、書院の解体法要が同派の愛宕山光雲寺の田中正文住職によって執り行われました。
東光寺様では、書院が老朽化していて、数年前には白鼻心が棲みついたり、強風で銅板の屋根の一部が剥がれかかってしまったりと、内部の構造ばかりではなく、外観からもわかるほど傷みも激しかったため、新築されることに決まりました。また、書院の南側にある鐘楼堂も、屋根瓦がずれたり壁が崩れたりと老朽化が著しく、檀家から鐘の寄進もあったため、今回一緒に解体されることになりました。
地鎮式は3月2日(火)、上棟は4月18日の予定です。


・・・苺(いちご)の話・・・

梅や桃の花がきれいに咲き、すっかり春めいてきました。最近は旬のためか新聞の折り込みチラシなどで苺を使ったスイーツ(和菓子や洋菓子・果物などの甘味全般で、最近マスメディアを中心にこう呼んでいます)をよく見掛けるようになりました。個人的には甘酸っぱい果物は苦手なのですが、これだけ目にすると苺について興味が湧きました。今回は苺の話です。
苺はバラ科の多年草で、石器時代には野生種が食べられていましたが、今流通しているオランダイチゴの種類は十八世紀のオランダで本格的に栽培され始めました。日本でも平安時代には野生種が食べられていたことが枕草子からもわかりますが、オランダイチゴの栽培は江戸時代末期から、食用としての栽培は明治になってからです。
苺に関しての疑問や誤解で多いのは、苺は果物なのかそれとも野菜なのか?苺は甘味のために果物として扱われることが多いですが、野菜にも見られます。実は野菜と果物の境界線自体がはっきりしていないようです。また、果実(子房が受粉後に肥大化したもの)だと思われがちな赤い部分は花托(かたく・花弁とめしべなどの接合部分)が肥大化したもので、種子だと思われがちな粒々の一つ一つが生物学上は果実になります。めしべが受粉すると花托が膨らみ始めますが、受粉しないとその部分は膨らまずに苺の形がデコボコになります。
おいしい苺を見分けるコツは、形が余りデコボコしていなくて大きく、全体的に赤くてツヤがあるもの、ヘタが青々としてピンとしているものを選ぶことです。苺は先端の方が甘いので、ヘタ側から食べていく方が段々と甘くなっておいしく食べられます。
苺には豊富にビタミンCが含まれていて、百グラム当たりでは意外にもレモンより多いのです。最近では非常に甘い種類も出てきましたが、甘い割にカロリーは高くなく、甘味成分にはキシリトールも含まれています。カリウムや食物繊維も多いので、美容と健康に非常に良い食品と言えます。