1. HOME
  2. ブログ
  3. 心ゆたかに No.90

心ゆたかに No.90

発行日 平成22年11月1日

『曹洞宗安楽寺様で落慶式』 静岡県磐田市前野

        落慶式の会場の様子

去る十月三十一日(日)、磐田市立野の医王山安楽寺(市川普弘住職)で、本堂と位牌堂の落慶式が執り行われました。

数日前から台風十四号の接近で天候が危ぶまれていましたが、式典当日は朝方小雨がぱらつく程度で済みました。

式典は厳かな雰囲気の中滞りなく執り行われ、本堂と位牌堂の完成を祝うとともに、関係者のこれまでの労をねぎらいました。

式典終了後には、天峰建設からサービスで樽酒がふるまわれ、恒例の模擬店の焼き鳥と焼きそばとともに参列者からご好評をいただきました。

        本堂内の落慶式の様子

 

『曹洞宗興徳寺様で完成見学会』 来年四月頃・静岡県磐田市森下

      現在鋭意作業中の興徳寺様の現場

今年三月の末に構造見学会を実施させていただいた磐田市森下の長松山興徳寺様(八神英典住職)で、来年四月頃、完成見学会を開催する予定です。

現在、本堂は太田佳宏棟梁、位牌堂は加藤芳弘棟梁を中心に鋭意作業中で来年三月末の完成を目指しています。

見学会に参加ご希望の方は弊社にご連絡下さい。また、見学会以前に見学されたい場合も随時受け付けております。

 

『全仏主催「葬儀は誰の為に行うのか?」』

 日本テンプルヴァン㈱ 井上文夫

「五十年間でお寺が十分の一になるとのご託宣が」

九月十三日に全日本仏教会主催による「葬儀は誰の為に行うのか」~お布施をめぐる問題を考える~、という公開シンポジュームが東京秋葉原で開催されました。出席希望者は事前予約を受付けたのですが、三百五十人を超す希望者があり、一部お断りをしたぐらい大盛況でした。

この日は、講演順に大和総研・石田主任研究員、慶応大学・中島教授、葬儀評論家・碑文谷創、玄侑宗久住職(芥川賞作家)の四人の講演でした。内容としては、石田氏は「最近の葬儀事情」についてデータを元に解説され、葬儀の小型化、個性化とともに、脱宗教色化の傾向が見られ、アンケート調査によると戒名は不要と考えている人が何と七十二%にも及ぶとの報告がありました。慶応の中島教授は「お寺の経済学」の出版を通じた、全国の多数のお寺での面談調査の経験を踏まえ、お寺や住職に厳しい発言が多くありました。向こう五十年間でお寺が十分の一になってしまうという驚きの発言もありましたが、いくら学者といえども見識もあり、お寺の現況を踏まえての話でもありましたので、それなりの説得力がありました。(詳細は後述)

碑文谷氏は、葬儀業界に精通している立場で、そこから見たお寺について、「住職に危機意識があっても、お寺をどうしようとしているのか見えてこない、また社会におけるお寺の存在意味を確認しないと、そのうちお寺は放置され姿を消してしまいかねない」という見方を話されました。最後の講演者は、唯一住職でもあったため他の講師とは違った角度から話された玄侑師で「葬儀は、一人一人の死者に個別にどれだけ寄り添えるか、スーパーのイオンみたいな全国統一したマニュアル形式の葬儀は認められない」との意見でした。

 「週刊誌に『お寺はもういらない』との大見出しの内容」

全仏のシンポジュームには、新聞、テレビ、週刊誌など数多くのマスコミが取材にきていました。ご存知の通り、高齢化・多死社会を迎えた現在、マスコミのほとんどが今回のようなテーマに非常に敏感になっているのです。

その中で朝日新聞が発行している「週刊アエラ」誌が、この大見出しで特集記事を掲載しました。主に取り上げられていたのは、次のような中島教授の発言内容です。

記事では概要だけの掲載でしたが、筆者がメモした当日の発言を紹介します。

「一つの業務(事業)が長期的に栄えるかどうかは、消費者教育が非常に重要であり、賢い消費者の育て方如何により大きな差がでる、消費者が育ってこなければその業界は育ってこないというのは、どの業界を見ても自明の話である。お寺では賢い消費者として檀信徒を育ててきたのか、ただ単に葬儀や法事を受けてきただけであり、この部分がきちんとされてこなかった為に、それが積もり積もってきて檀家にきちんとした信仰心がついてこなかった」という説明をされました。いくらマーケティングが専門の学者だからとは言え、営利企業が商品を消費者に普及させる仕組みと、全く対極にあるお寺と檀家という関係とを、同一次元において比較された発想には、私は正直にいって違和感を持ちました。また経済学の理論をそのままお寺に当てはめての説明には賛成できません。

 しかし別の考え方をすれば、仏教界の外の学者から見ても、今のお寺は危険水域に達してきていることを表わした見方を示しています。また今後とも何らやり方を変えず、檀家のニーズをも顧みないでこのままの経営を続けたら、五十年先には、現在七万六千のお寺が六千に激減してしまう、と。この意見は、未だ世の中はお寺に期待したいが、仏教界の内部から改善意欲が起きてこなければ、自滅するだけだ、と警鐘を鳴らされたと受け止めたいと思います。主催者であり当日の司会者でもある全仏関係者からは、この意見に対し、否定や反論はなく、どちらかと言えば理解を示す態度であったことを報告しておきます。

 

『真宗高田派光福寺様で上棟式』 静岡県浜松市中区南浅田

去る十月二十八日(木)、浜松市中区南浅田一丁目の浅田山光福寺様(今橋宣麿住職)において、鐘楼堂の上棟式が執り行われました。

式典当日は朝から雲行きが怪しく、上棟の工事中に雨が降り始めました。数日前から急に冷え込んでいたので、雨によってさらに寒さが増すという、大工泣かせの天候となりました。それでも、山田俊棟梁を始め皆カッパを着て一生懸命に工事をやり遂げ、式典までに予定通り間に合いました。工事が終わってみると、カッパを着てはいましたが、結局雨や汗でカッパの中まで濡れていました。そして、テントの中ではありましたが無事に上棟式を執り行い、関係者が一人一人焼香して今後の工事の無事を祈願することができました。

完成は十一月末の予定です。

    光福寺様の上棟式の様子(平成22年10月撮影)

 

・・・鮟鱇(アンコウ)の話・・・

やれ猛暑だ残暑だ、地球温暖化の影響がどうの、秋らしくないなどと騒がれていたのが懐かしいくらい、十月の終わりくらいから急に寒くなり、すっかり鍋料理の美味しい季節となりました。

今回は庶民にとっては「海のフォアグラ」と珍重される「あん肝」や、鍋の具材としても大活躍の鮟鱇(アンコウ)の話です。

アンコウはアンコウ目アンコウ科に属する魚の総称で、ただ単にアンコウと言う場合は食用のキアンコウ(ホンアンコウ)やアンコウ(クツアンコウ)のことを指します。深海魚として有名なチョウチンアンコウは食用のものとは異なります。

アンコウは頭でっかちで口が大きく泳ぎが下手なために、海底に潜み頭の突起を疑似餌の様に動かして小魚などの獲物を誘って捕らえますが、時にはアンコウの胃袋から捕食された海鳥が出てくることもあります。

アンコウは体が大きくて柔らかく、表面がぬめるために俎板の上では捌き辛いので、昔から下顎にフックを引っ掛けて吊るし、水を入れて体を膨らませて捌くという独特の方法「吊るし切り」で解体されてきました。解体された各部位は肝(肝臓)、とも(ヒレ)、ぬの(卵巣)、台身(身の部分)、水袋(胃)、えら、皮の「七つ道具」と呼ばれ、顔や骨以外は捨てるところが無いと言われています。

「東のアンコウ、西のフグ」と言われる様に、下関のフグと茨城のアンコウは並び称されていますが、今が旬のアンコウは美味しいだけではなく、栄養的にもとても素晴らしい魚です。身は淡白で上品な味で、高タンパクで低脂肪です。皮やヒレにはコラーゲンがたっぷり含まれていて美容に良いです。肝は高脂肪ですが、DHAやEPAが豊富なので、血液中のコレステロール値を下げ、血栓が出来るのを防いでくれますし、ビタミンA、D、Eも豊富なので免疫力アップも期待できます(プリン体も豊富なため尿酸値の高い人はたくさん食べてはいけません)。これらの栄養を丸ごと摂れて、野菜のビタミンCも補えるので、アンコウ鍋がお勧めです。

今ではスーパーでアンコウ鍋用のパックやあん肝の缶詰なども買えますので、ご家庭でもご賞味してみてはいかがでしょうか。

 

『編集後記』

寒さが本格的になってきました。手洗いやうがいなどを励行して風邪をひかないようにお気を付けください。

さて、前号の三面中段の曹洞宗吉祥寺様の記事で、山号が「長光万福山」となってしまっていました。正しくは「万福山」です。お詫び申し上げます。

天峰建設 井口